10月17日、大間でチラシをまいてきました

 今日は10月17日、土曜日です。朝8時集合で、大間町まで行ってきました。マイクロバスの往復6時間余のあいだ、ほとんど最後尾の座席でひとり、眠ってばかりいました。町役場近くの民家に50枚のチラシは30分ほどで配り終えました。あとは海峡保養センターで参加した人たちと交流会でした。
 帰りにとり平によって、4本400円のハツを食べて帰りました。

 今日の子規歳時は、
 十一人一人になりて秋の暮 (1895年、明治28年10月17日)
 明治28年10月17日、子規は松山をたって三津に至り、18日は見送りの人々と名残を惜しみ、19日三津発の汽船で広島に向かったのでした。これが子規の故郷の見納めとなりました。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言99です。
 中国人总只喜欢一个”名”,
 只要有新鲜的明目,便取来玩一通,
 不久连名目也糟蹋了,便放并,另外又取一个。
 真如黑色的紫缸一样,放下去,没有不鸟黑的。
 譬如”伟人””教授””学者””名人””作者”.这些称呼,
 当初何尝不冠冕,现在却听去好像讽刺了,
 一切无不如此。
  Zhōngguó rén zǒng zhǐ xǐhuān yīgè” míng”,
 zhǐyào yǒu xīnxiān de míngmù, biàn qǔ lái wán yītòng,
 bùjiǔ lián míng mù yě zāotàle, biàn fàng bìng, lìngwài yòu qǔ yīgè.
 Zhēnrú hēisè de zǐ gāng yīyàng, fàngxià qù, méiyǒu bù niǎo hēi de.
 Pìrú” wěirén”” jiàoshòu”” xuézhě”” míngrén”” zuòzhě”. Zhèxiē chēnghu,
 dāngchū hécháng bù guānmiǎn, xiànzài què tīng qù hǎoxiàng fèngcìle,
 yīqiè wúbù rúcǐ.
「中国人はいつもただひとつの名が好きなのだ。新鮮な名目さえありさえすれば、それは、ただ使い捨てられた古臭い名であっても、新しく名目がたちさえすれば、その名をとりいれてひとしきり遊んで、ほどなくその名を使い捨てて、新しい名に取り換えてしまう。本当に真っ黒な鳥がいないのと同じように、放っておいても、紫色の水がめは黒くはならないのだ。たとえば、偉人、教授、学者、名人、作家という呼び方も、当初はあまり体裁もよくないのだが、耳を傾けてきいていると、いまではすべて諷刺をこめて呼ばれたのがよくわかる。」

 今日の論語一日一章は、論語12-8(論語巻第六 顔淵第十二篇 8章)です。
 棘子成曰、君子質而已矣、何以文爲矣、子貢曰、惜乎夫子之説君子也、駟不及舌、文猶質也、質猶文也、虎豹之鞹、猶犬羊之鞹也、
 Jí zǐ chéng yuē, jūnzǐ zhì éryǐ yǐ, héyǐ wén wèi yǐ, zi gòng yuē,
 xī hū fūzǐ zhī shuō jūnzǐ yě, sì bùjí shé, wén yóu zhì yě, zhì yóu wén yě,
 hǔ bào zhī kuò, yóu quǎn yáng zhī kuò yě,
(棘子成曰,君子质而已矣,何以文为矣,子贡曰,惜乎夫子之说君子也,驷不及舌,文犹质也,质犹文也,虎豹之鞹,犹犬羊之鞹也,)
「棘子成が曰わく、君子は質のみ。何ぞ文を以て為さん。子貢が曰わく、惜しいかな、夫の子の君子を説くや。駟も舌に及ばず。文は猶お質のごときなり、質は猶お文のごときなり。虎豹の鞹は猶お犬羊の鞹のごときなり。」
(棘子成が「君子は質朴だけが大切だね。装飾がなど、どうしているものか。」といったので、子貢はいった、「惜しいねえ、この方の君子についてのお説は。四頭だての速馬でさえ舌にはおいつけない。失言はとりかえしがつかないものだ。装飾も質朴のようなものだし、質朴も装飾のようなもので、どちらも大切だ。虎や豹の毛をぬいたなめし皮は犬や羊のなめし皮と同じようなもので、質だけにしたので君子の真価は表れないものだ。」と。)