10月16日、市役所の柳川庁舎に行き、市民美術展示館へ行くのを忘れました

 10月16日、金曜日です。朝9時に新町の事務所へ行きました。今日は10時から市の柳川庁舎で打ち合わせがあるからです。昼前に戻ってきて、その報告書やらを作っていて、ついつい市民美術展示館へ行くのを忘れていました。すっかり健忘症です。昨日まで、16日と心に決めていたのにです。ダメですね。明日も大間行きなので、行けないかもしれません。情けない限りです。友情もなにもあったものではありません。18日は朝から行くことにします。

 今日の子規歳時は、
 舟過る水の光や星月夜 (1898年、明治31年10月16日)
 十月も半ば、子規の帰京が近づいていました。松風会員らは17日二番町花廼舎(元の梅の家の東隣り)で送別会を催しました。集まるもの18人、子規は座興に一同の雅号を読み込んだ俳句を作ったのでした。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言98です。
 中国人自然有没信,也有”信”,
  但好像很少”坚信”。
  我们先前最尊皇帝,
  但一面又有些像吊她的膀子;
  畏神明,而又烧纸钱作贿赂,佩服豪杰,
  却不贡为他作牺牲。崇孔的名儒,
  一面拜佛,信甲的战士,明天信丁。
 Zhōngguó rén zìrán yǒu méi xìn, yěyǒu” xìn”,
  dàn hǎoxiàng hěn shǎo” jiānxìn”.
  Wǒmen xiānqián zuì zūn huángdì,
  dàn yīmiàn yòu yǒuxiē xiàng diào tā de bǎngzi; 
  wèi shénmíng, ér yòu shāo zhǐqián zuò huìlù, pèifú háojié,
  què bù gòng wèi tā zuò xīshēng. Chóng kǒng de míng rú,
  yīmiàn bàifó, xìn jiǎ de zhànshì, míngtiān xìn dīng.
「中国人は自然を信用しないのだが、なかには”信ずる”者もいて、少ないが”確信する”者さえ見受けられる。我々は以前、最も皇帝を敬っていたが、ただ一面では面白がってもいたし、皇帝の妃も敬っていて、だだ一面ではちょっとだけ彼女の肩から上腕を吊り上げてみたがったりもした。明らかに神を恐れる一方で、慰霊用の紙銭を燃やして賄賂を行い、豪傑に感服しても、彼のために犠牲を払おうとしないのと同じだ。孔子の教えの名高い儒者を崇拝しても、一方では仏を拝み、今日甲の戦士を信じと思えば、明日には対局の丁の戦士を信ずるのだ。」

 今日の論語一日一章は、論語12-7(論語巻第六 顔淵第十二篇 7章)です。
 子貢問政、子曰、足食足兵、民信之矣、子貢曰、必不得已而去、於斯三者、何先、曰去兵、曰必不得已而去、於斯二者、何先、曰去食、自古皆有死、民無信不立、
 Zi gòng wèn zhèng, zǐ yuē, zú shí zú bīng, mín xìnzhī yǐ, zi gòng yuē,
 bì bùdéyǐ ér qù, yú sī sān zhě, hé xiān, yuē qù bīng, yuē bì bùdéyǐ ér qù,
 yú sī èr zhě, hé xiān, yuē qù shí, zìgǔ jiē yǒu sǐ, mín wú xìn bù lì,
(子贡问政,子曰,足食足兵,民信之矣,子贡曰,必不得已而去,於斯三者,何先,曰去兵,曰必不得已而去,於斯二者,何先,曰去食,自古皆有死,民无信不立,)
「子貢、政を問う。子曰わく、食を足し兵を足し、民をしてこれを信ぜしむ。子貢が曰わく、、必らず已むを得ずして去らば、斯の三者に於いて何れをか先きにせん。曰わく、兵を去らん。曰わく、必らず已むを得ずして去らば、斯の二者に於いて何れをか先きにせん。曰わく、食を去らん。古えより皆な死あり、民は信なくんば立たず。」
(子貢が政治のことをおたずねした。孔子はいわれた、「食糧を十分にし軍備を十分にして、人民には信を持たせることだ。」子貢が「どうしてもやむをえずに捨てるなら、この三つの中でどれを先きにしますか。」というと、孔子は「軍備を捨てる。」といわれた。「どうしてもやむをえずに捨てるなら、あと二つの中でどれを先にしますか。」というと、「食糧を捨てる。昔からだれにも死はある。人民は信がなければ安定してやっていけない。」といわれた。)