6月21日、短夜や砂土手いそぐ小提灯

 今日は6月21日、火曜日です。東京はもう夏日でした。青森は19度と涼しく感じました。都知事が退職して、なにか熱が醒めたのか、東京らしくない朝でした。
 羽田発の朝一番の飛行機が満席の予約でしたので、二便に乗って帰ってきました。今回は上野動物園のカバ詣では中止です。
 魯迅は読書好きの人間の愉しみは、麻雀打ちの愉しみと同じだと言っています。牌を一つ一つ積もってくることによって、どんどん変わる手の内の愉しみは、読書で一頁一頁めくるなかでの、その面白味と同じだと言っています。ワクワクしながら次の頁をめくる愉しみはなんともいえません。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言349です。
 嗜好的读书,该如爱打牌的一样,天天打,夜夜打,连续的去打,有时被公安居捉去了,放出来之后还是打。诸君要知道真打牌的人的目的并不在蠃钱,而在有趣。牌有怎样的有趣呢,・・・它妙在一张一张的摸起来,永远变化无穷。我想,凡嗜好的读书,能够手不释卷的原因也就是这样。他在每一叶每一叶里,都得着深厚的趣味。
 Shìhào de dúshū, gāi rú ài dǎpái de yīyàng, tiāntiān dǎ, yè yè dǎ, liánxù de qù dǎ, yǒushí bèi gōng'ān jū zhuō qùle, fàng chūlái zhīhòu háishì dǎ. Zhū jūn yào zhīdào zhēn dǎpái de rén de mùdì bìng bùzài luǒ qián, ér zài yǒuqù. Pái yǒu zěnyàng de yǒuqù ne,tā miào zài yī zhāng yī zhāng de mō qǐlái, yǒngyuǎn biànhuà wúqióng. Wǒ xiǎng, fán shìhào de dúshū, nénggòu shǒubùshìjuàn de yuányīn yě jiùshì zhèyàng. Tā zài měi yī yè měi yī yè lǐ, dōu dézháo shēnhòu de qùwèi.
 「好きでやる読書は、麻雀好きが、昼も夜もなく打ち続け、公安局に捕まろうとも、出て来るなりまた打つのと似ています。皆さん、真の麻雀打ちの目的は金を稼ぐのにあるのではなく、愉しみにあるのです。麻雀の愉しみとはどんなものでしょうか。・・・その妙味は、牌を一つ一つ積もってくることによって、どこまでも変化が尽きないことにあるようです。好きでやる読書が、書物から手を離せなくなる理由も、似たようなものではないでしょうか。読者は一頁一頁のなかに、味わい深い面白みを汲み取っているのです。」