10月21日、豚汁や芋を得て秋の季となりぬ

 10月21日、今日は金曜日です。昨日は夕方から断続的に雨がふりました。今日は1日、曇りみたいです。
 昨日の夜は、憲法の前文の理解に努め、川柳の締切に間に合わせました。
 一生勉強、そして精進の成果が現れるのを待つ、その心境です。朝9時20分、青柳さんの家へ迎いに行き、岩木山神社へ御神水を汲みに行きました。岩木山の紅葉はそれほど感動させるものではありませんでしたが、穏やかな日和で山も落ち着いていました。岩木山神社の湧水を柄杓でタンクに汲み、ペットボトルにも汲みそれを青柳さんは僕に渡しました。
 岩木山神社は大願成就の願いと青柳さんの小説の取材もかねたものであったようで、青柳さん応募原稿執筆中のようであり、太宰賞に大いに期待が持てます。このあと、嶽温泉に回り、小島旅館のそれぞれの思い出を語り、嶽温泉に泊まったことのある立松和平の本名が横松だということを教えてもらい、嶽キミが終わったことを残念に思いながら、湯段温泉に下りて、森のイスキアが閉まっているのを確認しながら、時雨庵に寄り、青柳さんを女将に紹介しました。珈琲を飲み、菓子とチョコをつまんで三人で話しているうちに風呂を勧められました。青柳さん、湯段の温泉は初めてなようで、結局、温泉に浸かり、山菜蕎麦を食べて宿をあとにしました。いずれ、青柳さんは奥様と時雨庵を訪れることでしょう。途中、百沢の三浦蜂蜜店へ寄り、瓶詰めの蜂蜜を買って帰りました。3時半に青柳さんを自宅へ送り、まっすぐ帰宅しましたが、岩木山岩木山神社、そして嶽温泉と湯段温泉時雨庵を堪能した一日でした。夕方、新町事務所へ寄り、事務整理した後、四人会のため千成へ行き、10時半まで中村、逢坂、山宮の三人と談笑したのでした。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言352です。
 现在中国有一个大毛病,就是人们大概以为自己所学的一门是最好,最妙,最要紧的学问,而别的都无用,都不足道的东西的人,将来该当饿死。其实是,世界还没有如此简单,学问都各有用处,要定什么是头等还很难。
 Xiànzài zhōngguó yǒu yīgè dà máobìng, jiùshì rénmen dàgài yǐwéi zìjǐ suǒ xué de yī mén shì zuì hǎo, zuì miào, zuì yàojǐn de xuéwèn, ér bié de dōu wúyòng, dōu bùzúdào de dōngxī de rén, jiānglái gāidāng è sǐ. Qíshí shì, shìjiè hái méiyǒu rúcǐ jiǎndān, xuéwèn dōu gè yǒu yòngchù, yào dìng shénme shì tóuděng hái hěn nán.
 いまの中国には大変悪い癖があります。それは人々が、自分のやっている学問が一番良くて、一番面白く、一番重要で、ほかの人のやっている学問は、みんな役に立たない、取るに足らないものだ、だからこんなつまらないものをやっている連中は、やがて餓死するのが当たり前だ、と思っているのです。ところが、世の中、そんなに簡単なものでもないのです。学問はそれぞれに役にたつのです。どれが第一であるときめるのも、それは大変難しいことなのです。