5月30日、一銭の氷少なき野茶屋哉

 今日は5月30日、金曜日である。朝8時5分過ぎに家を出て、病院へ不安と緊張いっぱいに家を出る。妻の気持を想うと胸がつまる。
 泌尿器科の診断の前に、内分泌科の診断を受ける。境界型糖尿病で6月4日に教育入院をすることが決まった。12時近くになって、内分泌科のそちらのカルテも持って、二人で泌尿器科の診察室へ入る。三男は9時に来て、医師の話を聞かずに、11時過ぎに職場に戻った。
 医師はCTの写真を見せながら、腎細胞の腫瘍の他に、腎静脈にも腫瘍があり、それが血尿の原因であると話した。他に転移はなく、ステージ3だと言う。8月8日の手術で根治できるとも説明した。6月4日から一週間内分泌科に入院して、11日に再度、泌尿器科で入院の説明を受けることになった。午後にもう一度検査をしてから、帰宅した。二人とも疲れきっていた。
 今日の子規歳時は、明治28年の句である。23年ころの家計簿を思い出して詠んだ句である。
 今日の魯迅箴言は、箴言136である。
  农夫耕田,泥匠打墙,
  他只为了米麦可吃,房屋可住,
  自己也因此有益之事,得一点不亏心的餬口之资,
  历史上有没有「乡下人列传」或「泥水匠列传」,
  他向来就并没有想到。
 農夫が田を耕し、左官が壁を塗るのは、
 食べられる米や麦、住める家屋に、みずからもその恩恵に与りながら、
 なんのやましい気持もなく生活費を得るためで、
 歴史上に「田舎者列伝」や「左官屋列伝」があるかどうかなど、
 これまでに考えたことすらあるまい。