7月12日、日曜日です。本当にいい天気です。

 7月12日、今日は昼にアラスカ会館で青葉工業会の役員会です。夕方は公立大学の交流ホールで、劇団万有引力による寺山修司作の奴婢訓の演劇です。佐々木英明、古川壬生、藤川幸治、工藤良夫、三国谷清一君たちと会えます。成田先生、前田夫妻、田村夫妻の顔をみることができるはずです。演劇会のあと、三男夫婦と四人で龍鳳閣へ寄るつもりです。二日続きで女房同伴は、選挙以来です。
 昨日は、実に楽しい日でした。朝9時過ぎに美濃さんを迎えに行き、日中友好協会がやっている幸畑団地の集会所へ向かいました。中国残留孤児帰国者のふれあい日本語教室の講師としてです。事前に、結構時間をかけて準備してあったので、中国語での説明もしてみました。だいぶ、慣れてきました。五月に餃子をごちそうになった貝さんに、私の書いた本をあげる約束をうっかり忘れていました。次回(8月8日)は必ずと約束しました。
 団地を11時半に出て、通訳の劉雨さんを中央学院大学前まで送り、美濃さんを西滝の自宅前でおろし、そのまま出町第二町会の集会場へ直行しました。町会の長寿会の4月から7月生まれの人までの誕生会があるからです。町会の人たちには去年の選挙でなにかと世話になったので、義理を欠かさないためにも参加しているものです。11時55分に到着し、弁当を食べながら、25分まで30分間でしたが近所の人たちとよもやま話をしました。話題はやはり、病気の事、顔をみせない人の消息でした。町会長とも久しぶりに顔を合わせ、挨拶することができました。
 午後1時から社民党青森総支部の総会に自転車ででかけ、10分前に着くことができました。総会で選挙で推薦してもらったお礼を述べました。4時半に帰宅し、6時からの宴に備えました。着替えをして、女房と二人、タクシーを呼んで、未来へ向かいました。5時20分に到着して、みんなの到着を待ちました。最初に現れたのは小山雅子さん、次が藤川夫妻と東出夫妻が一緒に到着しました。最後に、飛鳥順子さんが5分前に現れて、全員集合となりました。それから3時間、高校時代の思い出、現在の状況と今後のことについて語り合い、津軽の食材をつかった料理に感動しながら、ビールとワインを飲んだのでした。日本酒を飲めなかったのだけが残念でした。雅子さんは、東出君への土産のついてに、私が頼んだ、筋子パックと螺もちゃんと買ってきてくれました。夏の夜、晩酌のつまみにするつもりです。
 宴会はもりあがり、二次会へ同じ通りにある木馬に行こうということになりました。未来を出る直前に古川壬生さんから電話があり、ブルーノートにいるから来いということで、7人を木馬に残し、車でブローノートに駆けつけました。壬生は少しく酔っていました。英明と壬生と三人で飲もうということになり、あわせて三回目のライブをやろうということになりました。壬生作演出の英明の一人芝居「ペダルの男」を私のプロディースでやろうということで、英明にかかあってみることになりました。壬生さんは、だびよん劇場で1989年に「ペダルの男」を演じた大船滝二さんが重い病床にあることを語り、口をつぐみ感極まって涙を流してしまいました。壬生さんの奥さんに迎えにきてもらい、私は木馬で降してもらいました。木馬は満員でした。中央のボックス席に7人が座っていました。女房からカウンターの女性を紹介され、その人が鹿内夫人であることがわかりました。偶然とは重なるものです。
 木馬を出たのは11時でした。6人と別れをつげ、タクシーに乗ってワインによって上機嫌な女房を久しぶりにみて熱い夜を終えたのでした。

 今日の子規歳時は、
 おこし絵に灯をともしけり夕涼 (1896年、明治29年7月12日)
 ベースボールを野球と訳したのは子規だといわれる。子規は本名の升(のぼる)の音をとって野暮流・能球などと署名し、明治23年には「野球」という雅号をも用いています。野球という成語はこの時に生まれたのでした。

 今日の魯迅箴言は、この箴言集の最後、箴言130です。
 死者倘不埋在活人的心中,
 那就真真死掉了。
 Sǐzhě tǎng bù mái zài huó rén de xīnzhōng,
  nà jiù zhēn zhēn sǐ diàole.
「死者がもし、活きた者の心に埋葬されなかったなら、そのときにこそ真に死に絶えたのだ。」
 死者;死者 sizhe もしも;倘 chang ,倘 tang 埋葬;埋在 maizai 
  活きた者;活人 huoren 死に絶える;死掉了 sidiaole

 今日の論語は、論語8-14(論語巻第四 泰伯第八篇 14章)です。
 子曰、不在其位、不謀其政也、
 Zǐ yuē, bùzài qí wèi, bù móu qí zhèng yě,
「子曰わく、其の位に在らざれば、其の政を謀らず。」
孔子がいわれた、「その地位にいるのでなければ、その政務には口だししない。」と。)
(子曰,不在其位,不谋其政也,)