控訴審でも勝利 路さんの公務災害訴訟

 私に同人誌「北狄」を紹介し、私に同人なるように迫った路明夫が亡くなって7年が過ぎた。毎年10月、私は城ヶ倉大橋を訪れていた。8月下旬に長春へ発つことが決まり、7月の暑い盛りに橋を渡り、暗い谷底の渓流の流れが白く砕け散る小さく見える岩場に目を落とした。路の死は、公務災害にあたると確信して公務災害の認定のための訴を起こして7年が過ぎていた。審査会では地方、中央で相次いで敗訴。地裁での訴訟では、公務災害とする判決を得て勝訴した。しかし、県と公務災害補償基金は面子からか、仙台高裁へ控訴していた。
 路は蝉が鳴き、燕舞う谷底の岩場の陰で泣いているような気がした。それでも私は、これからの人生を一から文学に賭けるつもりで、涙をふりきって、控訴審の判決を待たずに大陸に渡った。
 昨日、青森から電話があった。二審で仙台高裁は県や基金の控訴を棄却する判決を下したとの知らせだった。使用者側に立つ、公務災害認定の審査会の裁定ならいざ知らず、地裁・高裁の判決で敗訴してもなお、上告する構えを崩さない県の往生際の悪さと無能力ぶりにあきれ果てた。
 喜びもつかの間、私はこの三か月何をしてきたのか、と深い自責の念に襲われた。文学はどこでもできる。青森でも、長春でも、ニューヨークでもだ。それにしても、たった一人で県庁マシンに対抗して怯まなかった路夫人には頭が下がる。あっぱれだ。それにつけても、この私ときたら…の、ていたらくだ。