揚逸(ヤン・イー)の「時の滲む朝」に匹敵する作品を書きたい

 前から読もうと思っていた本があった。作者がテレビに出て、あまりに想像していたのと違っていたので、読むのをためらっていた。中国から戻って三カ月。何もしないで、時ばかり過ぎていく。そんななか、高校同期の友人から背中を押された。
 「いまの中国の大学生が何を考えているのか、君が書かなくてどうする」
 そう言われて、思いついたのが楊逸の「時の滲む朝」であった。
 1964年、黒竜江省の哈尓濱市に生まれの彼女が、1987年に日本に留学するために来日するまで、どこで何をしていたのか私にはわからない。しかし、この作品は、1988年9月に秦都の秦漢大学に入学したひとりの青年・梁浩遠が主人公である。彼は高校の同級生謝志強と学生運動にのめり込み、64天安門事件の波にのまれ、市中で労働者と喧嘩して投獄、退学処分となる。二年半の農民工生活ののち、残留孤児二世の女性と結婚して日本に来て、日本で中国民主化の運動にも参加するという物語である。
 作者の楊逸は、1988から89年にかけては、日本のお茶の水女子大学に留学し、留学生として天安門事件をみていたはずである。作中の秦都は黄土高原地方とあり、作者の故郷の氷雪の都・哈尓濱ではない。しかし、黒竜江省と同じ東北地方の満洲吉林省長春には吉林大学があり、そこの卒業生にかのノーベル平和賞劉暁波(64天安門事件の首謀者の一人として国家転覆罪で囚われ現在も服役中)もいる。この作品を読み、すぐに同じ東北地方・遼寧省の獄中にいる劉暁波のことが頭に浮かんだのは当然のことである。
 私の教え子の学生は皆、この長春出身のノーベル平和賞受賞者のことを罪人(国家転覆罪)として、名前を呼ぶのさえためらった。そんないまの中国の学生のことを、私は書こうと思った。書かなければならないと思った。教え子たちの多くは、私に自分たちの気持ちを小説にして書いてほしいと想っているからだ。本音が言えない、自分たちの思いを代弁してほしいと願っているのだ。
 毎日、彼ら・彼女らの悲痛な、どうにもならない暗澹とした未来への不安の声が、日本の大震災(地震津波原発事故)からの復興を祈る気持ちとともに送られてくる。今学期から勉強の時間が少ないからと寮の消灯時間を30分繰り下げて午後11時になったと少し明るい声で告げる学生たちの本音がキャンパスに轟く日はいつのことか。