長春日記を書きあげる

 北の邊に「長春日記」を書くつもりで準備していた。遙に書いた「長春だより」を書き直すつもりであった。そして、それを終えたら加藤嘉一の「伊豆から北京に来た男」の日本語訳の心準備をしようと考えていた。
 その矢先の地震だった。激しい揺れの果てに、テレビが消え、停電となった。友人からもらったラジオ付きの懐中電灯を探し出し、幸いなことに電池はいきていて、ラジオで災害放送が聴けた。震源が東北地方の太平洋沖と聞き、津波警報とともに三陸津波を思い出した。さらに、地震震度7の報道に、女川原発福島原発への心配が走った。
 二つとも的中した。蝋燭の灯りのもとで、余震に震えながら、地震津波で死亡・行方不明者が1万人を超えると直感した。その後の原発事故だった。
 冷却系のポンプの電源が津波でやられ、1号機から3号機の運転中の原子炉緊急停止後の冷却水の温度上昇にともなう燃料棒の露出というきわめて危険な状態がいまも続いている。牛乳、農作物や水道水からも放射能が検出された。
 1号機と3号機は海水注入による水素の発生が水素爆発を誘発し、建屋が吹っ飛んだ。2号機はさらに深刻で、原子炉底部のサブレッションプールの一部が破損し、圧力容器から格納容器、さらに建屋の窓から強い放射能を含む蒸気が出ているということだ。
 電気が点いて今度はテレビにくぎ付けになった。見てると、真実を伝えていないことに腹がたった。結局、夜も何もできないまま、眠ってしまい、長春日記の完成が延び延びになってしまった。
 状況が一向に改善しないまま、それでもどうにか、今朝、長春日記はようやく完成することができた。