散文修行

 中国で四カ月、毎日、日本語とにらめっこした。広辞苑のCDをパソコンに入れ、片っぱしから検索した。完全に授業の下準備をしたつもりだった。
 しかし、2年生はほとんど日本語はわからず、小学低学年程度の学力で、しかも日本文化についての理解は皆無に等しかった。でも、一人だけものすごくできる学生がいた。松尾芭蕉の話をすれば、彼女だけが頷いた。それをいいことに得々として講義をした。他の33人はつまらなそうにしていた。
 それでも、だんだんに学生たちは変わってきた。毎朝、日本語で一人ずつ挨拶させているうちに、日本語で話ができるようになってきた。3クラス93人の三年生とは特に親しくなった。日本語でかなり会話ができ、正しく作文も書ける学生も多かった。
 あまりにずさんでいいかげんな大学の教務や管理体制を私は当然のごとく批判した。それが原因で4カ月で帰国することになった。しかし、多くの学生たちといまもインターネットでチャット交信を続けている。学生たちは、大学がどうあれ、向上心を持って日夜勉強していることだけは凄いと思う。さほど高名な大学ではないが、それでも1学年200人、4年までで800人の学生が日本語をまじめに専攻しているのだ。負けてはいられない。そんな訳で、わたしも、本格的に散文修行を始めることにした。散文教室がないので、川柳教室に行って勉強することにした。もちろん、中国語講座にも通っている。