中野孝次の論語

 小説家の中野孝次は2002年に「中野孝次論語」という本をだしている。この本は2007年第11刷まで版を重ねたロングベストセラーである。しかし、この本より凄い本が来年3月にでる。「孔子-漂泊の哲人」だ。
 人類の最高の教師である孔子の思想・言説を孔子の弟子たちが後年まとめたのが論語である。中野孝次が言うように、論語にはあるべき人間像と揺るぎない人生の指針が確かにある。
 中野孝次はその論語を、現代人のために、やさしく、読みやすく、しかも役に立つように、読み解いた。
 中野はこう書いている。
 「声に出して朗読し、文を味わうこと、これが学ぶ喜びとなる」として、学而第1を朗読することを勧めている。
 「子曰く、学んで時にこれを習う、亦説しからずや。朋有り遠方より来る、亦楽しからずや。人知らずして愠みず、亦君子ならずや。」と。
 「(論語の)開巻第一番にこういう文章があるから、『論語』はたのしくなるのである。文章というより、これは詩であって、声に出して唱していると、学問という未知の奥深い世界に誘われてゆく期待感とよろこびが湧いてきて、心が躍る。
 二千年来、新たにこの世に生まれてきて、学齢に達した子供たちが、先生の読んだのをそのまま、声を張り上げてこれを朗読してきたさまを想像すると、それだけでもたのしくなる。そして初学者を学問の世界へ誘うに、これはまことによくできた詩だと、いまさらに感心する。
 亦、説しからず乎
 亦、楽しからず乎
 亦、君子ならず乎
 韻を踏んだこの三つの章句を大声で唱えるとき、子供らは、自分たちもその君子という人の仲間入りをするんだという思いで、胸がふるえたことであろう。先生も初めはごちゃごちゃうるさい字句の説明や解釈などをせず、ただこの言葉の調子のよさ、ひびき、力を感得させればよしとしたのだ。何度も何度もくり返し朗読していれば、そのリズムの中からおのずから語の意味が伝わってくる。
  学んで 時にこれを習う…
  朋あり 遠方より来る…
  人 知らずして愠みず…
 これが本当の教え方というものである。文章はまずその語の力、リズム、たのしさを味わうのが第一番なのだ。いまの日本の小学校のように、最初から意味だの何だのをくしゃくしゃ説明したって、文章の楽しさが味わえないのでは、学ぶ喜びなど湧いてきはしない。
 その点『論語』は、すべて言葉が簡潔で、格言のように覚えやすく、しかも語の一つ一つに深い意味を蔵しているから、暗記すること自体がたのしく、一度覚えたら生涯忘れられぬものになるのだ」
 まったく中野孝次のいうとおりだと思う。
 日本の小学生は英語を一生懸命勉強している。そんなことより、論語をそらんじさせて、学ぶことの意義を、体をとおして覚えさせるべきではないのだろうか。もちろん、英語の勉強が不必要だなどと言うつもりは毛頭ない。私の長男一家はNYに住んでいるし、孫はアメリカ人として生まれたのだから。そして、四月には孫の顔を見に私もアメリカに行くつもりだ。