中国山東省の旅も今夜が最後

 24日に青森空港を発ち、ソウルに一泊して仁川空港から山東省の省都の済南市(人口700万人)に25日の午後空路降り立った。
 私は23日に北の街へコラムの原稿を出し、24日の朝、1万人訴訟原告団事務局へ核燃訴訟の準備書面の草稿をどうやら間に合わせて送信したものの、北狄360号の「風の岬にとり遺されて」は半分程度しかできないまま、USBとパソコンをバッグに詰めて出発したのだった。
 今回の中国の旅は、日中友好協会青森県支部山東省交流団で省都である済南市で山東省博物館を見学するとともに中国五台山の一つで世界遺産の泰山(1545メートル)に登ることと孔子の故郷の曲阜を尋ね、これまた世界遺産孔子廟孔子府、孔子林を観てくるなかで第五番目の直轄市を目指している商業都市青島市の観光をするという内容であった。
 私はことし四月に発行された竹川弘太郎著『孔子 漂白の哲人』の手伝いをしたことから、この本を曲阜市に献呈したいと考えていたので、今回の訪問団に参加したのだった。
 25日は山東省の政府の外事部高官から招待を受け、山東省と日本の友好関係を今後どう築くかについて意見交換する機会をえることができた。26日は泰山の頂上まで登った。途中まで、山岳バスとケーブルカーで南大門餐館まで登り、そこから石段を頂上まで雨と風のなか昇りきった。頂上で霧が晴れたのには驚いた。それから1時間半賭けて曲阜にむかい、夕方、孔子廟の城壁のなかにあるホテルに宿泊した。夕食後、講師の生涯を描いたショーを見に出かけた。
 27日はホテルから歩いて、孔子廟孔子府、孔子林を観て回った。そして昼食後、バスで5時間かけて、青島へ直行したのだった。朝昼晩と満腹すぎるほど食べた。帰国したら減量作戦に苦しみそうだ。体調はすこぶるいいのだが、油断大敵である。済南が古い趣をのこした都市とすれば、青島はまさに近代都市といえる。
 そうして、明日の午後にはまた空路仁川だ。山東省の三日間はこうして過ぎてしまった。