今日の論語一日一章「古者言之不出、恥躬之不逮也」

 今日の論語一日一章は、第4篇「里仁第四」の第22章「古者言之不出、恥躬之不逮也」(古者言をこれ出ださざるは躬の逮ばざるを恥づればなり)です。
 これの漢文原文はこうです。
 「子曰、古者言之不出、恥躬之不逮也」
 また、これの読み下し文はこうです。
 「子曰く、古者言をこれ出ださざるは躬(み)の逮(およ)ばざるを恥づればなり。」
 さらに、中国語簡体表記はこうなります。
 「子曰,古者言之不出,耻躬之不逮也。」
 ここで、この章の日本語訳はこうです。
 「孔子がいわれた。古人が言葉を軽々しく出さないのは、躬(み)の行いが言葉程に出来ないのを恥じるからである、と。」
 この章の語句・語彙の注釈はこうです。
 逮(およ)ぶ;及ぶ、です。
 この章は、古人が恥じることを引いて、今人が恥じないことを惧れさせたのです。
 范祖禹はんそう(宋代の官僚、歴史家。1041-1098年。 字は淳甫(父、夫に作る場合もある)、または夢得。 辞典. 名は祖禹、字は淳夫、成都の人、程門の高弟)は、「君子が物を言うのは已むを得ずして後に言うのである。言うのが難いからではなくて、言うとおりに行うのが難いからである。凡人は言うとおりに行わないから、軽々しく言うのである。もし言行の不一致を恥として、言うことは行うところの如くし、行うことは言うところの如くするならば、言葉を口から吐き出すことは必ず容易ではない。」と言っています。