今日の論語一日一章は「犂牛之子、赤且角、雖欲勿用、山川其舎諸」

 今日の論語一日一章は、論語第6篇「雍也第六」の第4章「犂牛之子、騂且角、雖欲勿用、山川其舎諸」(犂牛の子、騂うして且つ角あらば、用ふること勿らんと欲すと雖も、山川其れ諸を舎てんや)です。
 この章の漢文原文はこうです。
 「子謂仲弓曰、犂牛之子、騂且角、雖欲勿用、山川其諸。」
 これの読み下し文はこうなります。
 「子、仲弓を謂って曰はく、『犂牛の子、騂うして且つ角あらば、用ふること勿らんと欲すと雖も、山川其れ諸を舎てんや。』と。」
 また、これの中国語簡体表記ではこうなります。
 「子谓仲弓曰,犁牛之子,騂起且角,虽欲勿用,山川其舍诸。」
これの日本語訳はこうです。
 「孔子が弟子の仲弓を評して『犂(斑色の)牛は生贄として神を祀るときに用いることはできないけれども、その生んだ子が毛色が赤くて角が完全ならば、生贄を選ぶ人が、親牛がわるいから、生贄に用いまいとしても、山や川の神は必ず捨てないでこれを受けるであろう。』と曰われた。これは父が賤しくても、行いが悪くても、その子の善を廃することはできないから、仲弓のような賢徳のある者は、世に用いられるであろうという意味を譬によって述べたのである。」
 ここで、この章の語釈はこうです。
 犁牛;毛色のまだらな牛
 騂(あか);赤色。周時代の人は赤色をうとんだから、犠牲(いけにえ)に騂をもちいたという。騂の字音はセイである。
 山川(さんせん);山や川の神をいう。
 この章は、孔子がひそかに弟子の仲弓の賢徳を誉めたのものです。この章は、仲弓を評したのであって、仲弓に言ったのではないという朱子の説にしたがって解釈したものです。