魯迅「阿Q正伝」2

 第一章 序 2
 
 然而要做这一篇速朽的文章,才下笔,便感到万分的困难了。第一是文章的名目。孔子曰,‘名不正则言不顺’。这原是应该极注意的。传的名目很繁多;列传,自传,内传,外传,家传,小传   ,而可惜都不合。‘列传’么,我又并非和许多阔人排在‘正史’里;‘自传’么,我又并非就是阿Q。说是‘外传’,‘内传’在那里呢?倘用‘内传’,阿Q决不是神仙。‘别传’呢,阿Q买在未曾有大统上谕宣付国史馆立‘本传’——虽说英国正史上并无‘博徒列传’,而文豪迭更司也做过“博徒列传”这一部书,但文豪则可,在我辈却不可的。其次是‘家传’,则我既不知与阿Q是否同宗,也未曾受他子孙的拜托;或‘小传’,则阿Q又更无别的‘大传’了。总而言之,这一篇也便是‘本传’但从我的文章着想,因为文体卑下,是‘引车卖浆者流’所用的话,所以不敢僭称,便从不人三教九流的小说家所谓‘闲话休题言归正传’这一句套话里,取出‘正传’两个字来,作为名目,即使与古人所撰“书法正传”的‘正传’字面上很相混,也願不得了。
 
 この段の日本語訳はこうです。
 
 しかし、この不朽ならざる文章を書くと決めて、筆をおろしたとたん、大変な大問題にぶちあたった。第一は文章の呼び方である。孔子も、「名正しからざれば言順わず」といっている。もとよりこればおおいに注意すべきことだ。伝記といっても、いろいろある。列伝、自伝、内伝、外伝、別伝、家伝、小伝・・・残念ながらどれも合わない。「列伝」では?この一篇は、多数のお偉方といっしょに、「正史」のなかに並ぶわけではない。「自伝」では?私は阿Qではない。「外伝」となれば、「内伝」はどこにある?「内伝」としようにも、阿Qは決して神仙ではない。「別伝」は?阿Qは大総統が国史館に「本伝」を立てるよう命じたわけではない――むろん英国の正史に「博徒列伝」はないのに、文豪ディケンズは「博徒列伝」なる本を書いた。しかし、これは文豪だからできるので、私ごときには許されないことだ。あとは「家伝」だが、私は阿Qと同族かどうかわからないし、彼の子孫の依頼を受けたわけでもない。あるいは「小伝」はと考えると、こんどは阿Qにはほかに「大伝」はない、ということになる。要するにこの文がとりもなおさず、「本伝」でもあるのだが、私の文章から考えると、文体が卑しく、「車を引いて豆乳を売り歩くやから」の使う言葉だから、本伝を僭称するわけにはいかない。せめて三教九流にはいらない小説家の「閑話休題、言帰正伝」というきまり文句から、「正伝」の二字を取り出して、題名とすることにする。昔の人の著した『書法正伝』の「正伝」という言葉とまぎらわしいかも知れないが、そこまでかまってはいられない。
 
註;チャールズ・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens, 1812年2月7日 - 1870年6月9日)はヴィクトリア朝時代を代表するイギリスの小説家である。主に下層階級を主人公とし弱者の視点で社会を諷刺した作品を発表した。 新聞記者を務めるかたわらに発表した作品集『ボズのスケッチ集(Sketches by Boz)』から世にでる。英国の国民作家とも評されていて、1992年から2003年まで用いられた10UKポンド紙幣には彼の肖像画が描かれている。