今日は7月17日水曜日です。今日は高校同級生の佐藤健一君の母の葬儀が午前中にあり、夕方は工藤清泰さんと久しぶりの会談。選挙も最終盤となり、青森でも三回結婚して三回離婚しているという自民の候補者が圧勝との予想にうんざりしてしまう。何回結婚しても構わないが、一人の女性も幸せにできない人が政治をやってどうするのだろうか、そんな人を選ぶ県民の見識を疑いたくなるというものだ。まだ、結果はわからない。最後まで諦めてはいけないのだ。
さて、今日の論語一日一章は、第7篇「述而第七」の第11章「如不可求、従吾所好」(如し求むべからずば、吾が好む所に従わん)です。
この章の原文はこうです。
「子曰、富而可求也、雖執鞭之士、吾亦爲之。如不可求、従吾所好。」
読み下し文は、こうなります。
「子曰はく、富にして求むべくば、執鞭の士と雖も吾亦之を為さん。如し求むべからずば、吾が好む所に従はん。」
ここで、中国語簡体表記はこうです。
「子曰,富而可求也,虽执鞭之士,吾亦为之。如不可求,从吾所好。
Zǐ yuē, fù ér kě qiú yě, suī zhí biān zhī shì, wú yì wèi
zhī. Rú bùkě qiú, cóngwú suǒ hào。」
次に、日本語訳はこうなります。
「孔子が曰はれた。人として富を欲しない人はいない。富が人力をもって求めることができるものならば、わしも王公の出入りに鞭を執って、人を避けさせるような賤しい役の人にでもなんでもなって富を求めようが、もし富を得るのは天命によるので、人力でどうともできることでないならば、吾が好むところの道に安んじているばかりである、と。」
この章の語句・語彙の解説はこうです。
富にして(富而);而にはモシの意味があります。
執鞭の士;王公の出入りに鞭を執って行人を避けさせる人、賤しい役の人のことです。
吾が好む所;古の聖人の道ことをいっています。
この章は、富を求むる者のために発したものです。上の三句は仮設で、下の二句が真意のあるところです。
蘇東坡がいうには、「孔子は富を求める意志はないから、求められるとか、求められないとか考えるはずがない。しかるにこのように曰われたのは、特に富の決して求めることのできないことを明らかにしたのである。」