6月13日金曜日・早朝街宣雨に降られる

2014年6月13日(今日は13日の金曜日です)
魯迅は言っています。「地位、殊に利害さえ違えば、国と国との間は言うまでもなく、同じ国の人間の間でも、相互に理解しにくいのである」と。このことはいまの市議会と市長の関係に通じると思います。もっともっと、お互いの利害を超えて、胸襟をひらいて真摯に向き合い、話しあうべきだと思います。
 孔子論語のなかで「己を行うに恥じあり」といっています。このなかの「己を行う」とは、今自分の全人格が問われています。衆人環視のなかで自分という人間の行いが見つめられ、評価されようとしています。このふるえるような緊張感のなかで、自分が自分の全部を発動させようとしている、そう言った意味です。そのうえで、その己を発動させるに当って最も問われるのが、「恥あり」なのです。行って恥となるような行動は絶対にしない。恥となるかならないかの倫理的判断は自分に委ねられている。たとえ自分以外の全員がそうやっていても、もし自分がそれはただしくない、やったら自分の恥辱になると判断したら、己の全部を賭してもそれを行わない。そういう自己に対する忠誠、人間としての責任感が問われているのだ、そう思います。
「本当に立派な人間とは、自分の行いに責任を持つ覚悟のある人である。自分ひとりで物事を判断できる人である」と孔子は説いているのです。