12月21日(日曜日)今日は雪嵐です

 昨夜から朝にかけて、風がつよく、窓を揺るがし、とても熟睡できるものではありませんでした。
 夜中には雨も降っていたのに、明るくなるにつれて雪嵐になっています。冷え込みも一段と厳しくなっています。
 
52 名人的话并不都是名言;许多名言,倒出自田夫野老之口。 (名の知れた人の言葉が、すべて名言であるとは限らない。少なからぬ明言は、むしろ農夫や田舎の老人の口からでたものだ。)
53 风雅的定律,一个人离开本色,是就要的。不识字人不算俗,他要掉文,又掉不对,就俗;富豪儿郎也不算俗,他要做诗,又做不好,就俗了。 風雅の法則によると、人は「本色」から離れると「俗」になる。字を知らぬ人だから俗というのではなく、無理に詩文を引用して取り違えるから、俗になる。富豪の息子だから俗なのではなく、彼が詩を作ろうとしてうまくいかないから、俗なのだ。)
54 谚语固然好像一时代一国民的意思的结晶,但其实,却不过是一部分的人们的意思。 (諺は、ある時代ある国民の意思の結晶のようにみえて、じつは一部の人々の意思にすぎない。)
55 成语和死古典又不同,多是世相的神髓,随手拈掇,自然使文字分外精神;又即从成语中,另外抽出思绪;既然从世相的种子出,开的也一定是世相的花。(成語は使い古された古典ともまた違い、多くは今の世相の真髄であって、意のままに取り入れれば。言葉はことのほか生き生きとしてくる。さらに成語から思いがけぬ思考の糸口が導かれることもあり、世相の種から出てくる以上は、開くのは必ず世相の花である。)
56 科学不但并不足以补中国文化之不足,却更加证明了中国文化之高深。风水,是合于地理学的,门阀,是合于优生学的,拣丹,是合于化学的,放风筝,是合于卫生学的。灵乩的合于科学,亦不过其一而已。 (科学は中国文化の不足を補うに足らぬばかりか、中国文化が高く深いことをさらに証明してくれる。風水は地理学に、門閥優生学に、煉丹は化学に、凧揚げは衛生学にぴったり合う。「神のお告げ」が「科学」に合致するのも、またその一つにすぎない。)
 57 外国用火药制造子弹御敌,中国却用它做爆竹敬神;外国用罗盘针航海,中国却用它看风水;外国用雅片医病,中国却拿来当饭吃。同是一种东西,而外用法之不同有如比,… (外国は火薬で弾丸を造って敵に抵抗するが、中国はそれで爆竹を作り神を祀る。外国は羅針盤で航海するが、中国はそれで風水をみる。外国は阿片で治療するが、中国はそれを飯の代わりに食う。同じものでも、中国と外国の使い方はこれほど異なっている…)
58 中国古人,常欲得其,就是制妇女用的乌鸡白凤丸,也将全鸡连毛血都收在丸药里,方法固然苦笑,主意却是不错的。删夷枝叶的人,决定得不到花果。 (中国の昔の人は、いつもその「全体」を手に入れたがった。女性用の「烏鶏白鳳丸」を作るにしても、鶏まるごと、毛や血までもすべて丸薬に入れる。やり方は笑うべきだが、主意としては悪くない。枝葉を刈り落としてしまう人は、花も実も得られはしない。)
59 相书上有一条说,北人南相,南人北相者贵。我看这并不是妄语。北人南相者,是厚重而又极灵,南人北相者,不消说是极灵而又能厚重。 (人相の本には、北方人の南相、南方人の北相は貴いと書かれている。私が見るに、これはあながち妄語(でたらめ)でもなさそうだ。北方人で南方の人相の者は、重厚で利口、南方人で北方の人相の者は、言うまでもなく利口で、しかも重厚である。)
60 人往往憎和尚,憎尼姑,憎回教徒,憎耶教道士。懂得此理者,懂得中国大半。 (中国人はしばしば、坊さんを嫌い、尼さんを嫌い、回教徒を嫌い、キリスト教を嫌うが、道士を嫌うことはない。)