今日は2月8日、日曜日です。昨日、2月7日と二日分の子規歳時です。
引受の月次の会や炉の名残 (1901年、明治34年2月7日)
根岸の子規庵で蕪村句集論講をはじめたのは明治31年1月で、2月に第2回を開いたようです。それから、子規は病が重くなってからも長くこれを続けて天明の俳聖(与謝蕪村)の研究に努めたのでした。こうして、蕪村は子規によって世に現れたのでした。
春寒き椽(えん)に乹(かわ)かぬ鋳形哉 (1897年、明治30年2月8日)
昭和29年2月1日に死んだ鋳金の大家、香取秀真が、岡麓とともにはじめて根岸の子規庵を訪ねたのは明治32年2月初旬であったといいます。のちに歌の門人となった秀真も、その日は鋳物の話などをして帰ったようです。
ここで、椽はたるきではなく、縁側のことか。乹はかわくです。