今日は2月13日金曜日です。

 今日の子規歳時は、

 雲雀派と蛙派と歌の議論かな (1901年、明治34年2月3日)

 「竹の里人」の名で「歌よみに与ふる書」を日本新聞紙上に掲載し、子規が和歌革新の第一声をあげたのは明治31年2月12日のことでした。その後、3月4日まで十回にわたって発表し、歌壇に大衝撃を与えたのでした。
 

 今日の魯迅箴言は、21から30までです。


21 近来有一句常谈,是旧瓶不能装新酒。这其实不确的。旧瓶可以装新酒,新瓶也可以装旧酒,… (近頃よく口にされる言葉に、「旧瓶に新酒は盛れない」という。これはしかし、正確ではない。旧瓶に新酒は盛れるし、新瓶に旧酒も盛れる…)


22 旧的和新的,往往有极其相同之点。 (旧いものと新しいものには、往々にしてきわめて似たところがある。)


23 不能革新的人种,也不能保古的。 (革新できない人種は、古いものの保存もできはしない。


24 其实革命并非教人死而是教人活的。 (じつは革命は、けっして人を死なせるものではなく、人を活かすものである。


25 革命无止境,倘使世上真有什么止于至善,这人间世便同时变了凝固的东西了。 (革命に終わりはない。もしこの世に、真に「至善に止る」ようなことがあるなら、人間世界はたちまち凝固してしまうだろう。


26 人们灭亡于英雄的特别的悲剧者少,消磨于级平常的,或者简直近于没有事情的悲剧者却多。 (人々は、英雄のような特別の悲劇に身を滅ぼす者は少なく、きわめて日常的か、さもなくば何事もなかったかのようにみえる悲劇に、身を消耗させる者のほうが多い。


27 人们因为社交的要求,聚在一处,又因为各有可厌的许多性质和难堪的缺陷,再使他们分离。他们最后所发见的距离,----使他们得以聚在一处的中庸的距离,就是礼让上流的风习(人々は社交の必要から集うものの、それぞれがもつ厭うべき多くの気質や耐えがたい欠陥が、再び彼らを引き離す。彼らが最後に発見した距離――ひとつ場所に集わせる中庸の距離、それが「礼節」と「上流社会の作法」である。


28 有谁从小康人家而坠入困顿的么,我以为在这途路中,大概可以看见世人的真面目。 (穏やかな暮らしから困窮へ堕ちた者なら、たいがい、その過程で世間の人の真面目を見るだろうと、私は思う。)


29 感激,那不待言,无论从那一方面说起来,大概总算是美德罢。但我总觉得这是束缚人的。因为感激别人,就不能不慰安别人,也往往牺牲了自己,――至少是一部分。 (感激は、言うまでもなく、どこからみてもたいがいは美徳とされる。だが、これは人間を縛りつけるものではないだろうか。…他人に感激したために、その人をいたわらざるを得なくなり、同時に、しばしば自分を犠牲にすることになる、――少なくとも、その一部分を。


30 我的确时时解剖别人,然而更多的是更无情面地解剖我自己。 (私はたしかに、いつも他人を解剖しているが、しかしそれより多く、さらに容赦なく私自身を解剖している。


 
 今日の論語です。

5-6 子使漆雕开仕,对曰,吾斯之未能信,子说,
(子、漆雕開をして仕えしむ。対えて曰わく、吾れ斯れをこれ未だ信ずること能わず。子説ぶ。)
5-7 子曰,道不行,乘桴浮于海,从我者其由也与,子路闻之喜,子曰,由也,好勇过我,无所取材,
(子曰わく、道行われず、桴に乗りて海に浮かばん。我に従わん者は、其れ由なるか。子路これを聞きて喜ぶ。子曰わく、由や、勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所なからん。)
5-8 孟武伯问,子路仁乎,子曰,不知也,又问,子曰,由也,千乘之国,可使治其赋也,不知其仁也,求也何如,子曰,求也,千室之邑,百乘之家,可使为之宰也,不知其仁也,赤也何如,子曰,赤也束带立於朝,可使与賓客言也,不知其仁也,
(孟武伯問う、子路、仁なりや。子の曰わく、知らざるなり。又た問う。子曰わく、由や、千乗の国、其の賦を治めしむべし、其の仁を知らざるなり。求や如何。子曰わく、求や、千室の邑、百乗の家、これが宰たらしむべし、其の仁を知らざるなり。赤や如何。子曰わく、赤や、束帯して朝に立ち、賓客と言わしむべし、其の仁を知らざるなり。)



 今日の子規歳時は、

 雲雀派と蛙派と歌の議論かな (1901年、明治34年2月3日)

 「竹の里人」の名で「歌よみに与ふる書」を日本新聞紙上に掲載し、子規が和歌革新の第一声をあげたのは明治31年2月12日のことでした。その後、3月4日まで十回にわたって発表し、歌壇に大衝撃を与えたのでした。
 

 今日の魯迅箴言は、21から30までです。21は、「


21 近来有一句常谈,是旧瓶不能装新酒。这其实不确的。旧瓶可以装新酒,新瓶也可以装旧酒,… (近頃よく口にされる言葉に、「旧瓶に新酒は盛れない」という。これはしかし、正確ではない。旧瓶に新酒は盛れるし、新瓶に旧酒も盛れる…)


22 旧的和新的,往往有极其相同之点。 (旧いものと新しいものには、往々にしてきわめて似たところがある。)


23 不能革新的人种,也不能保古的。 (革新できない人種は、古いものの保存もできはしない。


24 其实革命并非教人死而是教人活的。 (じつは革命は、けっして人を死なせるものではなく、人を活かすものである。


25 革命无止境,倘使世上真有什么止于至善,这人间世便同时变了凝固的东西了。 (革命に終わりはない。もしこの世に、真に「至善に止る」ようなことがあるなら、人間世界はたちまち凝固してしまうだろう。


26 人们灭亡于英雄的特别的悲剧者少,消磨于级平常的,或者简直近于没有事情的悲剧者却多。 (人々は、英雄のような特別の悲劇に身を滅ぼす者は少なく、きわめて日常的か、さもなくば何事もなかったかのようにみえる悲劇に、身を消耗させる者のほうが多い。


27 人们因为社交的要求,聚在一处,又因为各有可厌的许多性质和难堪的缺陷,再使他们分离。他们最后所发见的距离,----使他们得以聚在一处的中庸的距离,就是礼让上流的风习(人々は社交の必要から集うものの、それぞれがもつ厭うべき多くの気質や耐えがたい欠陥が、再び彼らを引き離す。彼らが最後に発見した距離――ひとつ場所に集わせる中庸の距離、それが「礼節」と「上流社会の作法」である。


28 有谁从小康人家而坠入困顿的么,我以为在这途路中,大概可以看见世人的真面目。 (穏やかな暮らしから困窮へ堕ちた者なら、たいがい、その過程で世間の人の真面目を見るだろうと、私は思う。)


29 感激,那不待言,无论从那一方面说起来,大概总算是美德罢。但我总觉得这是束缚人的。因为感激别人,就不能不慰安别人,也往往牺牲了自己,――至少是一部分。 (感激は、言うまでもなく、どこからみてもたいがいは美徳とされる。だが、これは人間を縛りつけるものではないだろうか。…他人に感激したために、その人をいたわらざるを得なくなり、同時に、しばしば自分を犠牲にすることになる、――少なくとも、その一部分を。


30 我的确时时解剖别人,然而更多的是更无情面地解剖我自己。 (私はたしかに、いつも他人を解剖しているが、しかしそれより多く、さらに容赦なく私自身を解剖している。