今日は検診日

 お早うございます。今日は1週間繰り延べした検診日です。今朝の体重は82.8キロでした。今朝も朝から陽がさしています。2月2日の河北新報の文芸欄に少しだけ北狄369号が紹介されていました。そのなかに東奥文学賞を受賞した青柳さんの小説とわたしの「鎌先温泉」がとりあげられていました。ちょっぴり嬉しいです。子規歳時にみられるように、陸羯南日本新聞社長)と記者であった正岡子規の関係も、新しい興味としてわたしのこころに芽生えました。

 今日の子規歳時は、

 油画の極彩色や春の宿 (1899年、明治32年2月12日)
 

 「小日本」の発行を任された正岡子規は、雑報書きから原稿の整理編集まで一切を気って回したようです。当時無名の画学生であった中村不折漱石の「吾輩は猫である」の挿絵を描いた画家)を迎えて挿絵に新生面を開いたのでした。
 
 


 今日から論語は、巻第三 第5篇 公冶長第五 になります。

 
 論語 巻第三 第5篇 公冶長第五
 
論語(公冶長第五)
5-1 子谓公冶长,可妻也,虽在缧紲之中,非其罪也,以其子妻之,
(子、公冶長を謂わく、妻(めと)わすべきなり。縲紲の中に在りと雖ども、其の罪に非ざるなりと。其の子を以てこれに妻わす。)
5-2 子谓南容邦有道不废,邦无道免於刑戮,以其兄之妻之,
(子、南容を謂わく、邦に道あれば廃てられず、邦に道なければ刑戮に免れんと。其の兄の子を以てこれに妻わす。)
5-3 子谓子贱,君子哉若人,鲁无君子者,斯焉取斯,
(子、子賎を謂わく、君子なるかな、若き人。魯に君子なかりせば、惟れ焉くにか斯れを取らん。)
5-4 子贡问曰,赐也何如,子曰,女器也,曰,何器也,曰,瑚琏也,
(子貢、問うて曰わく、賜や如何。子曰わく、女は器なり。曰わく、何の器ぞや。曰わく、瑚璉なり。)
5-5 或曰,雍也,仁而不佞,子曰,焉用佞,御人以口给,屡憎於人,不知其仁也,焉用佞也,
(或るひと曰わく、雍や、仁にして佞ならず。子曰わく、焉んぞ佞を用いん。人に禦るに口給を以てすれば、屡々人に憎まる。其の仁を知らず、焉んぞ佞を用いん。)

 今日の魯迅箴言再々録は、少普段より多くとりあげます。
 

 魯迅箴言(10から20)


10 倘是子,自夸怎肥大是不妨事的,但如果是一口猪或一匹羊,肥大倒不是好兆我不知道我自己在好像是什么了?(もし、獅子なら、どんなに太ったかを誇るのもよかろう。だが豚や羊なら、太るのはむしろよくない兆候である。我々はいま、自分たちがどちらに似ていると思っているのだろうか?)



11 勇者愤怒,抽刀向更强者;怯者愤怒,却抽刀向弱者。不可救药的民族中,一定有许多英雄,专向孩子们瞪眼。这些孱头! (勇者が怒れば、刃を抜いてより強い者にたち向かう。臆病者が怒れば、刃を抜いてより弱い者に向かってゆく。救われぬ民族には、きまって少なからぬ英雄がいて、もっぱら子どもにのみ睨みを利かせる。この臆病者ども!)


12 卑怯的人,即使有万丈的愤火,除弱草以外,又能烧掉甚么呢? (卑怯な人間が、万丈の怒りの炎を燃え上がらせようとも、弱い民草のほかに、何を焼き払えるというのか?)


13 玩笑来应付做人,自然也是一种好战法,但触着之处,须是对手的致命伤,否则,玩笑终不过是一种单单的玩笑而已。 (揶揄、からかいで敵をあしらうのは、ひとつの有効な戦法だが、その突くところは、必ず相手の致命傷でなければならない。


14 同是不满于现状,但打破现状的手段却大不同;一是革新,一是复古。 (同じく現状に不満でも、現状打破の手段は大いに異なる。ひとつは革新、ひとつは復古。


15 曾经阔气的要复古,正在阔气的要保持现状,未曾阔气的要革新。大抵如是。大抵! (かつて勢力があった者は復古したがり、今まさに勢力がある者は現状を維持したがり、勢力がなかった者は、革新したがる。ほぼ、そんなところだ。ほぼ!)


16 回复故道的是没有的,一定有迁移;维持现状的事也没有的,一定有改变。有百利而无一害的是没有的,只可权大小。 (もとの河筋に戻ることはなく、必ずや移りゆく。現状が維持されることもなく、必ずや変わりゆく。百利あって一害なしということもなく、ただ利と大の大小が測れるだけだ。


17 动植之间,无脊椎动物之间,都有中间物;或者简直可以说,在进化的链子上,一切都是中间物。 (動物と植物の間、あるいは脊椎動物無脊椎動物のあいだには、どちらにもその中間物が存在する。あるいは、つまりこうも言えよう、進化の鎖に連なるものすべてが中間物である、と。


18 不满是向上的车轮,能够载着不自满的人类,向人道前进。多有不自满的人的种族,永远前进,永远有希望。多有只知责人不知反省的人的种族,祸哉祸哉! (不満は、向上の車輪である。自己に満ち足りぬ人類を載せ、人の道に向かって前進できる。自己に満ち足りぬ人の多い種族は、永遠に前進し続け、永遠に希望がある。ああ、禍ものだ。禍ものだ!)


19 有些改革者,是极爱谈改革的,但真的改革到了身边,却使他恐惧。 (改革者たちはやたらと改革を語りたがるが、真の改革が身に及ぶと、きっと怖気づくに違いない。


20 无破坏即无新建设,大致是的;但有破坏却未必即有新建设。 (破壊なくして建設なし、とはおおむねそうだろう。だが、ぶち壊したからといって、必ず新しく建設されるとは限らない。