6月12日、金曜日です。

 6月も早いもので12日、金曜日となりました。校正の締切まであと一週間となりました。1回目の精読は終わり、昨夜から2回目に入っています。今日と明日で、2回目を終える予定です。

 今日の子規歳時は、
 刈残す二畝の麦や梅雨に入る (1898年、明治31年6月12日)
  初めて東京へ着いた16歳の子規は、直ちに日本橋区浜町の久松家別邸にゆくと、さっそく柳原極堂を本郷の下宿に訪ねて行きます。勝手もわからぬ町を「いい加減にいて見た」が、ともかく無事にたどりついたのでした。

 今日の箴言は、箴言100です。この箴言もすきな箴言のひとつです。
 希望是附丽于存在的,有存在,便有希望,有希望,便是光明。
  Xīwàng shì fùlì yú cúnzài de,
 yǒu cúnzài, biàn yǒu xīwàng, yǒu xīwàng, biàn shì guāngmíng。
「希望は存在とともにあるものだ。存在があるところに希望はあり、希望があるところに光明があるのだ。」
 希望;希望 xiwang 存在;存在 cunzai 光明;光明 guangming

 今日の論語は、論語7-22(巻第四 述而第七篇 22章)です。
 子曰、天生徳於予、桓魋其如予何、
 Zǐ yuē, tiānshēng dé yú yǔ, huán tuí qí rú yǔ hé,
「子曰わく、天、徳を予(わ)れに生(な)せり。桓魋其れ予れを如何。」(孔子が宋の国で迫害を受けたときにいわれた。「天がわが身に徳をさずけられた。桓魋ごときがわが身をどうしようぞ」と。)(子曰,天生德於予,桓魋其如予何,)
 ここで、桓魋とは宋(いまの河南省商邱県)の司馬(軍務大臣)で、孔子を旅の途中で殺そうとした人。