魯迅箴言日記 2024/04/16 フランスの菫を封す書信かな(明治31年、1898年)

 今日は4月16日、火曜日です。いい天気です。日課をやり、9時40分に新報を回しに、市議会、自治労、県庁、金澤先生宅、朝鮮総連、青森通運と回り、小山内達雄氏宅へ北狄を運びました。日課の残りをやり、新報と北狄の会計整理をしているうちに、三男から電話があり、孫が蕁麻疹がひどく、浪岡から学校へ迎えに行こうとして電車に乗り遅れたので、駅まで迎えにきてほしいとのこと。家内と二人で、新青森駅に迎えに行き、孫を小学校へ迎えに行きました。孫の顔は赤く発疹がでていました。三男と孫を家まで送り届け、家内を生協に降ろし、会議にでました。3時8分に「斎藤さんが亡くなった」との知らせを受けました。13日の午後8時過ぎに電話したばかりでした。死亡しているのがみつかったのは、14日とのことでした。

 今日の子規歳時は、「フランスの菫を封す書信かな(明治31年、1898年)」です。

 子規はフランスという言葉の響きが好きだったようです。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-71「国民が、もし、」です。

 我以为国民惝没有智,没有勇,

    而单一种所谓气,实在是非常危险的。

 国民が、もし智恵もなく、勇気もなく、

 一種のいわゆる「気」にのみ頼るならば、それはあまりに危険すぎる。