6月13日、このごろの我が家の会話は、「一日、一週間、一カ月はあっという間、なのに二カ月は遠い」です。その二カ月まで、あと2日です。風邪も貧乏も我慢のしどころです。
きょうの子規歳時は、
水打つや上野の山の梺路」 梺(ふもと) (1897年、明治30年6月13日)
柳原極堂の下宿を尋ねてゆく途中、鉄道馬車のレールに出合った子規は、何やらわからず、しばらくチュウチョしたが、こわごわ横切ったのでした。また、極堂の下宿では、「始めて東京の菓子パンを食ひたり」。
人生最苦痛的是梦醒了无路可以走。
Rénshēng zuì kǔtòng de shì mèng xǐng liǎo wú lù kěyǐ zǒu.
「人生で最も大きい苦痛は、夢が醒めたとき、行くべき路がないことです。」
人生;人生 rensheng 苦痛;苦痛 kutong 夢:梦 meng 醒める;醒 xing
子曰、二三子以我爲隱乎、吾無隱乎爾、吾無所行而不與二三子者、是丘也、
Zǐ yuē, èr sān zǐ yǐ wǒ wèi yǐn hū, wú wú yǐn hū ěr, wú wú suǒ xíng ér bù yǔ èrsānzi zhě, shì qiū yě,
「子曰わく、二三子、我れを以て隠せりと為すか。吾れは爾に隠すこと無し。吾れ行おうとして二三子と与(とも)にせざる者なし。是れ丘(きゅう)なり。」(孔子がいわれた。「諸君はわたくしが隠しごとをしていると思うか。わたしは隠しだてなどはしない。わたしはどんなことでも諸君といっしょにしないことはない。それが丘(わたくし)なのだ、」と。)(子曰,二三子以我为隐乎,吾无隐乎尔,吾无所行而不与二三子者,是丘也,)