3月11日、萍や池の真中に生ひ初むる

 3月11日、今日は東日本大震災福島第一原発事故から5年が経過した日です。そして、核燃裁判の審問の日でもあります。わたしが原告のひとりとして、「六ヶ所再処理工場原子力防災計画の問題点」として33ページの準備書面を端折りながら20分で読み上げました。90頁の原稿を33頁に縮減したのです。とにかく一息ついたのです。規制委が再処理工場の原子力防災指針を改正して、重点的に放射線防護を講ずベき地域を明示し、EALやOILを定めた段階で、再度、その批判を行うことにしています。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言244です。
 朋友乃五常之一名,交道是人间的美德,当然也好得很。不过骗子有屏风,屠夫有帮手,在他们自己之间,却也叫作”朋友”的。
 Péngyǒu nǎi wǔcháng zhī yī míng, jiāodào shì rénjiān dì měidé, dāngrán yě hǎo dé hěn. Bùguò piànzi yǒu píngfēng, túfū yǒu bāngshǒu, zài tāmen zìjǐ zhī jiān, què yě jiào zuò” péngyǒu” de.
 「五常の友の一人は、つき合いが人間の美徳であり、当然にとてもよくできる。詐欺師には屏風がつきもので、屠殺人には助手がいるし、彼らは自己の間にいるし、かえって”友よ”と叫んでもいるのだ。」

 今日の論語一日一章は、論語16-11(論語巻第八 季氏第18篇 11章)です。
 孔子曰、見善如不及、見其人矣、吾聞其語矣、隠居以求其志、行義以達其道、吾聞其語矣、未見其人也、
 Kǒngzǐ yuē, jiàn shàn rú bùjí, jiàn qí rén yǐ, wú wén qí yǔ yǐ, yǐnjū yǐ qiú qí zhì, xíngyì yǐ dá qí dào, wú wén qí yǔ yǐ, wèi jiàn qí rén yě,
 (孔子曰,见善如不及,见其人矣,吾闻其语矣,阴居以求其志,行义以远其道,吾闻其语矣,未见其人也,)
 「孔子曰わく、善を見ては及ばざるが如くし、不善を見ては湯を探るが如くす。吾れ其の人を見る、吾れ其の語を聞く。隠居して以て其の志しを求め、義行いて其の語を聞く。隠居して以て其の志しを求め、義を行ないて以て其の道を達す。吾れ其の語を聞く、未だその人を見ず。」
 (孔子がいわれた、「よいことを見ればとても追いつけないような(それに向かって努力)し、よくないことを見れば、熱湯に手を入れたように(急いで)離脱する。わたしはそういう人を見た。わたしはそうしたことばの伝わるのも聞いた。世間から引き籠ってその志をつらぬこうとし、正義を行なってその道を通そうとする。わたしはそうしたことばの伝わるのは聞いた。だが、そういう人はまだ見たことがない。」