3月12日、春の山重なりあうて皆丸し

 今日は、デジカメ展、GEA理事会、ういむいの理事会が重なります。忙しいことはそれなりに充実していて楽しいのです。
 デジカメ展は盛況で、金澤先生、昆さん、小宮山さん、杉村さん、相坂さんが会場を訪れた人たちに作品の解説をしていました。私のカバには当然ですが、厳しい批評がよせられています。まあ、でも自分が撮った5頭のカバの写真を会場の片隅でときどきちらちら眺めるのも結構いい気分なのです。これが自己満足です。9月にはゴリラを撮るようにリクエストされました。次の機会から、カバとゴリラの両方に挑戦したいと思います。上野動物園と八木山動物園のカバを機会がある度に撮り続けてみたいと思うのです。
 ういむいの理事会後、小山内理事長との話し合いで、事務局長の任を解いてもらうことになりました。正直、ほっとしている所です。これで、新町のGEA事務所で仕事の合間に本を読めるし、執筆もできることになりました。今年はほんとうにいい年になりそうです。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言245です。
 我的确时时解剖别人,然而更多的是无情面地解剖我自己。
 Wǒ díquè shíshí jiěpōu biérén, rán'ér gèng duō de shì wú qíng miàn de jiěpōu wǒ zìjǐ.
 「私はたしかに、いつも他人を解剖しているが、しかしそれより多く、さらに容赦なく私自身を解剖している。」

 今日の論語一日一章は、論語16-12(論語巻第八 李氏第十六篇 12章)です。
 齊景公有馬千駟、死之曰、民無德而稱焉、白夷叔齊餓于首陽之下、民到于今稱之、其斯之謂興、
 Qíjǐnggōng yǒumǎ qiān sì, sǐ zhī rì, mín wú dé ér chēng yān, bái yí shū qí è yú shǒu yángzhī xià, mín dào yú jīn chēng zhī, qí sī zhī wèi xìng,
 (齐景公有马千驷,死之曰,民无德而称焉,伯夷叔齐饿于首阳之下,民到于今称之,其斯之谓兴,)
 「(孔子曰わく、誠に富みを以てせず、亦た祇に異を以てす。)斉の景公、馬千駟あり。死するの日、民徳として称すること無し。伯夷、叔斉、首陽の下に餓う。民今に至るまでこれを称す。其れ斯れをこれ謂うか。」
 (孔子がいわれた、「詩経には『まこと富みにはよらず、ただ{富みとは}異なるものによる。』とある。斉の景公は四頭だての馬車千台を持っていたが、死んだときには、人民はだれもおかげを受けたとほめなかった。伯夷と叔斉とは首陽山のふもとで飢え死にしたが、人民は今日までもほめている。{詩のことばは}まあこういうことをいうのだろうね。」と。)