7月11日、打ちわくる水や一番二番町

 今日は7月11日、水曜日です。今日は、三上亨さんの火葬と通夜です。7時50分までに堤の平安閣アネックスに行かなくてはなりません。三上さんの棺はアネックスを出て新町のグリーンエネルギー青森のあるカネモトビルの前を通り、斎場へと向かいます。この6年ほど、中国から戻り、東日本大震災のあと、水口君の事務所の二階を借りて、原子力防災研究所をたちあげていたころでした。労金時代から核燃関係の市民運動でも三上さんとは親しい間柄でした。
 2011年秋に三上さんが事務所に訪ねてきて、グリーンエネルギー青森を手伝ってくれと要請されたのでした。とりあえず、市民出資で鰺ヶ沢町に建てた市民風車「わんず」の資金管理と決算の会社である市民自然エネルギー株式会社の監事に就任しました。翌年からNPO法人グリーンエネルギー青森の事務局員になり、2014年秋に古川の事務所を閉じたあとは、新町のカネモトビル3階の事務所に机と椅子も用意してくれました。それから2015年にグリーンエネルギー青森の理事に、そして2018年3月からは常務理事になりました。それもみな三上さんの手配によるものでした。
 三上さんは、労金時代に公立大学修士号を取得し、労金を辞し、NPOをたちあげてからは公立大学で博士号をとり、NPO活動を続けながら公立大学の専任講師に就任していました。6年前、三上さんは突然、白血病に襲われました。その後、二度、骨髄移植をするなど闘病生活を続けました。
 二度目の移植で病を克服した三上さんは、2015年公立大学を辞め、恩師の佐々木俊介先生とともに地域再生青森会議をたちあげ専務理事に就任したのでした。しかし、2016年暮れ、白血病が再発し、2017年4月からは聖路加国際病院に入院して抗ガン剤治療をつづけてきました。
 7月に入り5日まで、仕事のことで三度も長い電話で話しました。声がしゃがれて元気ないようでしたが、とてもそのご急変するとは思いもよりませんでした。7日未明に亡くなられました。61歳、思えば壮絶な人生だったと思います。合掌。
 
 今日の子規歳時記の季語は、「打ちわく水」(打ち水)です。
 うち‐みず【打ち水】‥ミヅ
 ほこりを鎮めたり暑さをやわらげたりするため、道や庭先などに水をまくこと。また、その水。?─Σ入。男色大鑑「―の葉末にとまりしを」
 
 今日の魯迅箴言130日は、箴言53です。
 风雅的年律,一个人离开一]「本色」,是就要「俗」的。不识字人不算俗,他要掉文,又掉不对,就俗;富家儿郎也算俗,他要做诗,又做不好,就俗了。
 風雅の法則によると、人は「本色(あるがまま)」から離れると「俗」になる。字を知らぬ人だから俗というのではなく、無理に詩文を引用して取り違えるから、俗になる。富豪の息子だから俗なのではなく、彼が詩を作ろうとしてうまくいかないから、俗なのだ。