8月5日、蝙蝠や貧乏町の夜学校

 今日は8月5日、月曜日です。昨日、五所川原の立ちネブタも始まったようです。 今日はあすから入院する妻の準備と私の歯科と内科の受診日です。

 今日の子規歳時は、明治16年に上京した子規が須田学舎、共立学校に学び、そして17年の夏休みに進文学舎で坪内逍遥の英語の講義を聞いたときのことを詠んだ明治34年の句です。

 今日の魯迅箴言は、箴言200です。
 近来我悟到
  凡带一点改革性的主张,
  倘于社会无渉,
  才可以作为”废话”而存留,
  万一见效,
  提倡者即大概不免吃苦或杀身之祸。
  古今中外,
  其揆一也。
 近頃、私はわかったのですが、
 改革性をもった主張は、
 社会とかかわりのないものなら、
 「戯言」としてそのまま残されるが、
 万一それが実際に効力のあるものであったら、
 提唱者は、焚いていひどい目にあわされるか、
 あるいは命をおとす災難にあうことになります。
 古今東西を問わず、
 それはみな同じなのです。

 つぼうち‐しょうよう【坪内逍遥】‥セウエウ
 小説家・劇作家・評論家。名は雄蔵。美濃(岐阜県)生れ。早大教授。一八八五年(明治一八)文学論「小説神髄」、小説「当世書生気質」を発表、写実小説の先駆をなす。九一年(明治二四)「早稲田文学」創刊。のち劇界および劇文学改良に努力。シェークスピアの研究・翻訳につとめ、また新舞踊劇を創作。(1859~1935)

 『桐一葉』  
 奥かたづけの腰元ども、掃除しまうて寄りこぞり
 一 「オヽしんど、オヽしんど、お目ざめにはまだ間(マ)がある、皆さん暫時(チツト)休むまいか。」
 二 「そのオヽしんどで思ひだした、此の頃の遅いお目ざめ、日がな一日(ヒトヒ)あのやうに、ちんとしておいでなされても、おからだが疲れるものかいな。」
 三 「サイナ、けふびは大野さまの、御忠勤とやらのせいでもなし。」
 四 「アコレ、粗怱な、きこゆるぞえ、皆さんも知つての通り、大仏さまのお鐘のことから、徳川さまの御難題。」
 五 「片桐市ノ正(カミ)さまは、其の申し訳をなされうため、先達て関東へお下り、大蔵のお局さまや、正栄尼さまも、後(アト)からお越しなされたれど。」
 四 「まだ御吉左右が知れぬによつて、御前さまはいかい御苦労。」
 五 「夜(ヨル)もおちおち御寝(ギヨシン)ならず、時たまおしづまり遊ばすと。」
 四 「ナア花野どの、ゆふべも恰(チョウ)ど子の刻過。」
 四・五 「オヽ気味わる。」