魯迅の『故郷』

 今日は魯迅の『故郷』の冒頭を紹介しよう。
 「私は厳寒のなかを、二千余里離れた、二十余年ぶりの故郷へ帰った。
  季節は真冬だった。そのうえ、故郷に近づくにつれて、空も薄暗くなってきて、冷たい風が船の中に吹きこみ、 ヒューヒューと鳴った。苫のすき間から外をうかがうと、鈍い色の空の下に、人気のない、わびしい村々があち  こちに横たわっていて、いささかの活気も感じられない。私は寂しさがこみあげてくるのをどうしようもなかった。
  ああ、これが二十年来、片時も忘れることのなかった故郷であろうか。
  私が覚えている故郷は、こんなものではない。わたしの故郷はもっとずっとよかった。その美しさを思い浮か  べ、そのよさを語ろうとすると、しかし、その影はかき消え、言葉は失われてしまう。こんなものだったような気も する。そこで私はこう自分に言い聞かせた。もともと故郷はこんなものだったのだ・・・・・・進歩もないかわりに、 私が感じたように寂しいものでもない、私自身の心境が変わっただけだ。今度の帰郷はけっして楽しいもので  はないのだから。
  私はこんどは故郷に別れを告げに来たのである。私たち一族が集まって住んでいた老屋は、すでに一族の  協議で他家に売ってしまった。明け渡しの期限は、今年いっぱいである。どうしても元日以前に、住みなれた老 屋に永の別れを告げ、しかも住みなれた故郷を遠く離れて、私がいま暮らしを立てている異郷へ引っ越さねば ならないのである。・・・・・・」
 
 私の家は浜町にあった。しかも、通りを挟んだ向かい側には教会があった。私の家は代々提灯屋だった。その店も住まいも皆、戦争で焼失してなくなっていた。残ったのは槐の木と土蔵だけだった。
 私が故郷に帰るべき家をもったのは中学二年の夏休みからだった。私は高校を卒業して、大学院を中退して故郷へ戻ってくるまでの七年間、魯迅のように「片時もわすれたことはない」とはとてもいえない。ほとんど忘れていた。だから、故郷に帰ってきたのにそんなには感慨はなかった。
 私は故郷の三内の家に帰ってきて六年住んだ。そして浪館に新築して引っ越し、今日まで三十一年住んでいる。そしてこと三十七年間、ずうっと故郷にいるし、いまだ三内の家も取り壊さないままだ。故郷があって、住む家があるというのは、本当に幸せなことだ。
 3・11大震災や福島第1原発事故によって被災し、大地や家を命を失った多くの人たちのことを思うと、どうしても魯迅の『故郷』を思い出してしまう。どれだけの人が、自らの意思に反して故郷を捨てなければならなくなるのだろうか。
 被災者が避難先から故郷に帰っても、どれだけの人が自分の家で再び生活できるのだろうか。どれだけの人が異郷へ引っ越さなければならないのだろうか。そんなことを思うと、心が壊れそうになる。