師走なのに新幹線も大晦日もなし

 慌ただしく11月が過ぎた。中国には暦が多くないせいで、曜日の感覚がなくなってしまう。研究室に小さな暦をもらってきて貼っているが、宿舎にはない。一日中、キャンパス内にいるし、しかも朝七時から夜の九時半までは、同じ建物の研究室と教室を行ったり来たりするだけで、あとは昼と夜の食事のとき、建物を出るだけだ。研究室を出ると宿舎までは約150メールだ。夜10時の門限前に宿舎に戻り、部屋で着替えをすませるとNHKのテレビをつける。そして、机のパソコンを起動させながらデスクに腰かける。 
 朝の連ドラの再放送が0時35分からだ。これを見終わるとまもなく午前1時になるので、それから眠るといった具合だ。眠くならないので、2時3時まで起きていることさえある。それでも、朝の6時には必ず起きる。1日24時間のうち、大学に15時間、宿舎に9時間といった勘定だ。新聞を読まないし、電話もかかってこない。インターネットのメールに目を通すくらいだから、淡々と時が流れていく。大相撲の取り組みがあった二週間は、午前1時からの再放送をよく見た。千秋楽の日曜日は寒くて研究室にも行かなかったので、午後3時から放送終了の午後5時までたっぷりと観た。あっという間の二週間だった。
 そんなわけで次男の誕生日まで忘れていた。そして、11月30日、11月分の給料が出て、初めて明日から12月なのだと気づいた。こうして、教師になって初めての師走を迎えた。12月4日は東北新幹線新青森開通の日である。カウントダウンが始まったとき、私はまだ青森市役所の職員だった。しかし、8月23日に青森を発ったあの日は、奇しくも青森市役所の新採用合格者の発表日でもあった。昨日から急に青森が恋しくなった。新幹線が通る街の雰囲気を味わいたいのだ。新幹線がきて、ひとが、街がどんなふうに変わるのか、変わらないのか、見たいのだ。とくに12月3日と12月4日の違いを。その歴史的瞬間に立ち会いたいだけだ。
 私は61歳の今日まで、大晦日を家で過ごさなかったことは一度もなかった。それが、今年は宿舎でたったひとり、紅白歌合戦をみて過ごさなければならないのだ。しかも、日本、すなわち青森が新年を迎えたとき、中国はまだ午後の11時なのだ。それからの1時間をどうして過ごせばいいのだろうかと考えると、私の決断、私の選択は本当に正しかったのか、とついつい考え込んでしまうのだ。