北京と長春のカバ

 北京動物園では一頭のカバしか見ることはできなかった。室内のブールからあがったカバは、そのまま戸外の岩場に移動して、ざぶんとプールに黒ずんだ巨体を沈めた。そして、観客の期待にこたえて、上半身を岸にあげると、大きな口を開け、防護柵の手前の笹を引きちぎったのだ。小さな観客たちは、一斉に歓喜の声をあげた。それだけだった。あとは、大人がどんなに騒ごうとカバはプールの中を悠然と泳ぎまわり、耳を水面から出して震わすだけだった。
 北京に比べ、みすぼらしく閑散としていた長春動物園のカバは、夏休みに入ったばかりだというのに、園のはずれのプールの周りには三組の親子連れがいただけだった。カバも観客には無関心なようで、汚れて淀んだプールから姿を現そうとはしなかった。病気なのでは考えるほど元気のない、わずかに呼吸のために鼻だけみせたカバだった。
 瀋陽には小さな動植物園が三つあったが、インターネットで調べてもらったら、カバはいずれにも飼われていないということだった。
 日本の動物園いる57頭のカバを観る前に、中国のカバを見るのが先になったが、カバに限らず中国では動物園の人気がいま一つのように感じた。夏休みなのに、一人っ子政策の中国では、子供たちはかわいそうなくらい夏休みも塾通いに明け暮れているのだ。
 小学校に上がる前の幼稚園の時代から、算数、英語、ピアノ、ダンスだれもが二つくらいはやらされているということを長春の于先生が語っていた。それが、小学校、中学校、高校とだんだんエスカレートするというのだ。日本では当たり前の部活動は中国には存在しないし、修学旅行もないのだ。高校時代はまさに受験のための灰色の生活を強いられ、苦しく辛かったと教え子の誰もが口をそろえる。
 確かに、北京動物園の人は多かったが、子供の数は上野動物園の比ではなかった。子どものいない動物園ほど、動物園らしくない動物園はない。パンダも金絲猴も元気がなさそうなのは、そのせいだ。カバだってそうなのだ。上野動物園のジロウの糞と北京のカバの糞では、大きさといい、勢いといい上野の方がはるかに勝っていた。