長春に三泊

 このたびの旅で、昨年四カ月を過ごした長春には三泊した。9日、大連国際空港の国内線ロビーで目撃したゲート前の地上係員につめよる乗客達の激しい行動は、中国浙江省温州市で7月23日に起きた高速鉄道事故の原因究明を求める遺族の抗議の挙動と同じであった。特に、男性よりは女性の方が激しい口調で、机を叩き、足で台を踏むし蹴るのだ。言葉の弾丸が飛び交い、急な欠航への抗議と他便への搭乗切り替えを求めたものだった。不思議なことに、ひとりの乗客が激高するととなりの乗客へ伝搬するといった具合で、だんだんエスカレートする。中国人は公衆の場で恐ろしくエネルギッシュになる。しかも、付和雷同的にそれがひろがるのだ。しかし、彼等の行動は飛行場の地上係員に対するもので、空港に配置された公安職員は腕まきして遠巻きに見守っているだけだった。
 長春には9日と15・16日、いずれも元同僚の于先生のマンションに泊まった。9日は出迎えに来てくれた3年の周君と呂君とともに于先生の家で荷をほどき、簡単な夕食をすますと、大学わきの喫茶店に行き、3年の女子6人と再会した。10日の午前、于先生に送ってもらい、市内のバスプールで集安出身の娄さんと合流し、ガイドで同行する周君と三人で集安行きのバスに乗った。
 北京から6時間かけて、高速鉄道に乗って長春に戻ってきたのは、15日の午後だった。呂君に駅まで迎えに来てもらい、于先生の車で于先生の家までもどり、夕方まで旅の模様を離して、二人の学生と別れた。16日は朝から、長春自動車博覧会を見に行き、午後は長春動物園へカバを見に行った。カバは一頭だけであった。北京とはうって違って動物園内に人影はまばらだったし、途中激しい雷雨もあり、一番奥のカバ舎を探すのにひと苦労した。
 動物園とは対照的に、8つのパビリオンのある自動車博覧会は人でごった返していた。日本車の展示コーナーより、BMWアウディ、ベンツ、フォルクスワーゲンなどの欧州車が心なしか人気を博していた。
 私は昨年末までの四カ月余、長春に滞在していたが、市内で見学したのは偽満洲国皇宮博物館と浄月にある映画村だけだった。7カ月ぶりでみる長春市内は相変わらず人が多いだけで、瀋陽や大連と比べ田舎だった。市内の交通戦争だけは前よりひどくなっていた。自動車所有に規制がないために、車道に車があふれ、いたるところで渋滞に巻き込まれた。大学構内も夏休み中につき、人影はまばらで、もとの研究室に顔を出す必要もなかった。
 二日間とも、夕食は外食だった。15日は桂林路の5ツ星ホテルでの会食と、16日は于先生の自宅近くの中華レストランだった。大いに中華料理を堪能することができた。かつて于先生とよく通った拉面屋には、9日の夜と16日の昼に行って、拉面と餃子を食べた。
 長春での夏の終わりから、真冬の零下39℃の年末までの四カ月余は、まるで牢獄に入っているような日々だった。帰国を決めてからの大連とハルビンへの旅行は、体の芯まで冷たい空気であったが、とてもいい思い出だった。