清の時代と故宮

 中国の旧満州、すなわち東北三省で華北地方に一番近いのが、遼寧省であり、そこの省都瀋陽です。今の中国の簡体での名前は、沈阳と表記します。東北三省の省都のなかでひときわ都会的な雰囲気の瀋陽は、准高速鉄道で北京まで4時間弱という距離(7百キロ)でした。北京から沈阳北を起点として大連と長春までそれぞれ2時間です。長春からさらに2時間で黒竜江省の哈尓濱までかかります。つまり、瀋陽は東北三省の中心ともいえます。
 瀋陽故宮博物館は北京の故宮博物館と比べるとそんなに大きくありませんが、市内の中南部の街中にあり、故宮をとりまく塀の外には近代的なビルが建っていて、それが結構背景としてマッチしているのが不思議でした。しばらく見つめていて、それがビルの壁の色のせいだと気づくまでさほど時間がかかりませんでした。
 瀋陽故宮博物館を見学して、気になったのは、中国の歴史の中で、いかに少数民族である満州(民)族が強い影響力をもっていたかということでした。蒙古族も含め、(東)北方の民族の力が如何に強かったかということです。確かに、満州族がうちたてた高句麗漢民族の唐と朝鮮半島新羅に滅ばされたのですが、その後も東北地方にとどまって渤海などの地方勢力として力を蓄えていたのは間違いがありません。そこのところが、日本と決定的に違うところです。
 満州族ヌルハチとその子のヌルハチは後金から中国全土を征服して清朝をうちたて、北京に遷都します。そして、17世紀後半までに、康熙帝雍正帝乾隆帝に至る三代が清朝の全盛時代といわれています。そして、それが第16代の宣統帝(溥儀)まで続き、ラストエンペラーとして清は滅びます。その後、溥儀は日本が長春(新京)にうちたてた満洲国の皇帝として即位するという歴史なのです。
 日本は高句麗の時代から関係があったようで、遣隋使、遣唐使を経て、元寇、宋、明、清の時代へと続き、満洲国にいたるまで、深くて長い関係が続いたのは間違いがありません。
 中国における満州族の盛衰と日本の関わりは無縁ではありません。その意味では、日本とアメリカの歴史と比べ、如何に一衣帯水の関係が長いかわかるような気がします。日本と中国の歴史を振り返ったとき、日清戦争以後の歴史を正視するとともに、それ以前の歴史についても深く洞察することも大切だと思いました。