集安の食の思い出

 北朝鮮鴨緑江で国境を接する高句麗の古都集安には10日の夕方に着いて、12日午前11時20分の瀋陽(旧奉天現沈阳)行き長距離バスに乗車するまでの二泊三日の短い滞在でした。集安には教え子の娄さんが案内してくれて、娄さんの父が市内中心部の中央公園向かいホテルを手配してくれました。ガイド役の周君と一緒のツインの部屋代は一泊180元(約2520円)でした。ホテルの部屋代だけを私が支払い、10日の夕食、11日朝、昼、夕食と高句麗王朝の石碑、遺跡、古墳等の入場料と鴨緑江の遊覧ボートの舟代など、12日の朝食まですべて、娄さんのお父さんが支払ってくれました。
 10日と11日の夕食はともに市内西部を流れる西大河の河川敷の橋を渡った両サイドの焼肉屋と火鍋屋(シャブシャブ)で娄さんの父親の友人たちも交えて小宴会となりました。11日の焼肉屋(コンクリートの河川敷の屋台のテーブルに炭火の七輪を置き牛肉、豚肉、羊肉を焼き、生野菜と一緒に醤や味噌のタレにつけて食べる)に向かう途中、娄さんの父が酒屋に飛び込んで、地酒の白酒「佳潤」4本入りの酒箱をかかえて夕食会場へ持ち込んだのです。その夜はそこで2本あけ、残りの2本は、11日の昼食と夕食にも持ち込んだのでした。11日の朝食は、ホテル近くの飲茶レストランで粥と小籠包・肉饅・搾菜を食べました。何組もの客がテーブルに座り、野菜、漬物、ゆで卵などもみなバイキング精算方式でした。12日の朝食は、見送りにやってきた娄さんと一緒にホテル向かいの杏の木が実をならせ真っ赤なサルビアが咲く公園を散歩がてら歩き、市場近くの拉面屋に連れて行ってもらいました。私はそこで牛肉拉面を食べました。麺汁まですっかりたいらげてしまったほどおいしかったです。
 圧巻だったのは、西暦400年までの高句麗王朝の太王陵や好太王碑、それに将軍塚などの遺跡を観た前後に鴨緑江越しに対岸の北朝鮮を観察し終えて、昼食を食べた狗鍋屋でした。狗肉のささ身に鍋を食した際にも白酒を四人で一本空にしたのでした。周君は白酒は飲めないのでビールを乾杯用に頼んだのでしたが、結局私は50度の白酒をコップ2杯飲んで、さらに残ったビールにも手を出したのでした。
 2時過ぎにいったんホテルに戻ったあと、4時半に娄さんが迎えに来ました。周君は仮眠しましたが、私はインターネットしたり、シャワーを浴びて、酔いを醒ましました。夕食会場へ向かう前に、公園を散歩しましたが、公園の木陰のベンチで夕涼みをしている老人で溢れていました。老女が枝木を持ち、周君へ杏をとってくれと頼みました。もう一人の老女が日傘を逆さに広げ、22歳の周君が杏の木を枝木で揺さぶって傘の内側めがけてふるい落としました。
 杏の木の下の芝生では何事が起こっているのか、とリスが驚いた顔を私に向けました。
 24万人の人口の集安市は、こじんまりとした市民みんなが友人同士のような温かい町でした。食べ物、焼肉、シャブシャブ、狗料理、粥、麺類いずれも私にはとても印象に残る味でした。