成田→大連→長春→集安(中国再訪日記1)

 私は、8日の午後、何も準備のないまま、飛行機に乗り込みました。一時は、JALに120回、ANAに80回以上年間乗りつくして母の遺産をなくした私でしたが、いまは浪々の身、しかも退職金の半分をプリウスの購入と拙宅の屋根に太陽光パネルを設置したのに要したため、老後の蓄えにと残りに手をつけるわけにもいかず、毎日鬱々と暮らしていたのでした。
 半年かかってプリウスが手元に納車になり、電気も東北電力に売る方が買う方より多くなりました。そんなときです。中国で日本語の教師をやってみないかとうまい話が飛び込んできたのです。
 人から頼まれると厭といえない性質の私は、中国のことも、赴任先の長春のことも深く考えないまま、あたふたと再任用の職を辞して大陸に飛んだのでした。そして、四カ月余りの滞在で、心身ともに満洲の寒さ冷たさに耐えかねて、年末に日本へ戻ってきてしまったのでした。銀行のカードと現金で私の手元には1万元が残っていました。
 この半年、家族三人との生活にも慣れ、3月11日の大震災には驚きましたが、日本はいずれ滅びるかもしれないという諦観が私には生まれていました。そして、六十二歳の誕生日を期して、新しい気持ちで人生を歩み始めようと考えました。六十一歳からの激動の一年が過ぎようとしているいま、中国再訪を思い立ちました。百三十五人の教え子のことが気になり、忘れ物を確認する旅に出て六十二歳を迎えることにしました。
 8日東京で友人夫婦と嫁ぐ前の娘に会い、9日に成田から、大連そして長春に乗り継ぎました。9人の教え子に会い、10日バスで集安に来ました。集安は高句麗の古都だけあって、静かな美しい歴史の町でした。まず、一つの忘れ物を見つけることができました。