日光キスゲとノノハナ菖蒲

 私は7月3日に八戸の種差海岸に行きました。そこで、海岸に群生する日光キスゲとノノハナ菖蒲の黄色と紫の花々に見とれた。百十日ほど前に押し寄せた大津波が嘘のようでした。しかし、その傍らには波になぎ倒された松の木の残骸があの日の惨害を物語っていたのです。同行した八戸の人は、高台にその人の家があり、地震の被害も津波も何も被害はなかったけれど、停電だけが怖かったと話していました。私も生まれて初めて、「一晩、蝋燭の灯りを頼りに、寒さに震えていました」と話したのでした。
 彼は、八戸市は市民全員を被災者とし、国の高速道路無料支援制度を利用できるようにして、市民を励ましてくれている、と市の行政の温かさを話しました。私はこのときはまだ青森市も当然、同じ取り扱いをしてくれるものと信じていました。
 私の青森市への信頼は裏切られました。青森市は市民を被災者と認めず(国は高速道路無料化にあたり、被災者の認定は自治体の判断としている)、被災地にいる二親等以内の親族で、死亡・行方不明者もしくは、全壊・半壊以上の被害を蒙った被害者を支援するために高速道路を利用する青森市民を被災者とみなすという誤った解釈を何ら国交省に問い合わせることなく(担当外の内閣府には問い合わせたらしい)4日の臨時記者会見で明らかにしたのでした。
 宮城県に老父をひとり残している青森市浪岡の知人が、昨日(6日)に市の浪岡事務所へ「被災者とみなし」て被災者証明を発行してくれるように訪れたところ、何と老父の家は「半壊でなく、一部壊なので適用にならない」とはねつけられたということです。老父を週末にでも迎えに行き、ねぶた祭りを見せ、お盆過ぎまで、ゆっくり避暑と避難をかねて療養してもらおうという気持ちが萎えてしまったと語っていました。
 知人の話によると、青森市の隣の外ヶ浜町では八戸市と同じく、町民全員を被災者としてくれたため、夏休み家族でディズニーランドへ遊びに行くのにも高速道路を無料で使えるということでした。市内にある通行所を乗り降りする際に、市民は有料で、市外の隣接町民は無料というこんば馬鹿な話があるのでしょうか。
 こんなことが、来年6月19日まで続くのですよ。市民の、市民による、市民のための市政はいったいどこにいったのでしょうか。国の制度の趣旨を誤って認識した結果が、このざまです。間違いに気が付いたら、メンツにこだわることなく、すぐに市民の利益を考えて修正すべきだと私は思います。こんなところにも、七年前の合併によって中核市となった青森市のお粗末さ加減が現れているのではないかと思います。国の高速道路無料の趣旨とは、こんなことがおきないように被災者とする(被災者とみなすのではありません)判断を自治体に委ねているということなのです。だから、何も条件を付さなかったのです。国の施策の趣旨を正確に読み取ることもできない法規担当者を中核市とあろう市がかかえているとすれば、それこそ税金の無駄遣いではないでしょうか。
 福島の原発事故の対応においてもそうです。青森市が何をさておいてもやらなければならないのは、マニフェストにあった市内の小中学校のソーラー化です。耐震診断と学校改築に合わせてというのであれば、いつになってもソーラー化は実現しません。市民に、小中学生に対し、自然エネルギーの大切さを啓蒙するのも、市政のこれからの重要な課題だと思うのです。市民はそれこそ原発に依存しない生活を余儀なくされることは明らかです。それから、早急に市内の学校の敷地、プール、海水浴場などにおいて、放射能の測定を実施し、夏休み前に安全宣言をすることも必要だと思います。
 現に県の対策本部に市の公共施設が大震災で被害を蒙ったと報告しているにもかかわらず、「青森市はこの震災で人的被害も公共施設の損害もなかった」と私たちの前で抗弁した担当者がいたことは、本当に残念でなりません。
 30万市民ひとり一人に寄り添い、あたたかい施策を市民とともに工夫を重ねて、協同で実施することが今回の震災の教訓であり、それこそふるさとのありがたさなのではないでしょうか。今回の、高速道路の無料化問題であらためて、住んでよかったふるさととは何だろうかと考えさせられました。