北狄355号「三内の家」できあがる

 少し遅くなりましたが、6月30日に北狄355号所載の「三内の家」が届きました。書いたときは、いい作品に仕上がったと満足していたのですが、刷り上がった同人誌を手にとって読み直してみると自分の欠点ばかりが目についてほとほと情けなくなります。
 そもそも、僕が小説にのめり込んだのは、高校三年の夏でした。夏休みに入り、孤独な受験勉強に飽きて、夜になっても眠れないくらいの猛暑にも負けた僕は、家にあった漱石全集を片っぱしから読んだのでした。評論、翻訳、倫敦塔から吾輩は猫である、に始まって、坊っちゃん三四郎虞美人草、それから、心、門そして明暗などすべての小説を読み進むうち、夏目漱石が僕には父にも想えてきたのでした。
 そんなことを思い出し、僕は七月に入ってすぐ、漱石の「三四郎」を読み直しています。ノートに気に入った個所を書き写しながらゆっくり、ゆっくり読んでいます。
 文団・遙に「福島原発事故六ヶ所再処理工場」を書いた僕は、六月の後半に河田恵昭『津波災害』と石平『中国経済』を読み終えました。前書は大震災前に発行された津波の恐ろしさを訴えた本で、書いてある通りの災害が実際に起こったのに心底驚かされ、後書は中国経済の2011年からの失速を各種のデータをもとに予測し、「蟻族」「恐帰族」「蝸牛の家」「房奴」などの新しい言葉を学びました。いまの中国の若者は本当に大変だと思います。この本を読んで、同じ苦しみのさなかにいる僕の百三十五人の教え子に会いたくなりました。
 そんなことを考えて7月8日に上京し、9日から大連・長春・集安・長白山などを旅行することにしました。長男夫婦がいるニューヨーク行きも、河馬めぐりも、後回しにしました。すべては、地震津波原発事故により、僕の生活スタイルと脳循環システムに変化が生じているからにほかなりません。そんなわけで、中国に置き忘れてきたものを探しに行ってきます。帰ってきたら僕は六十二歳です。そこから再出発します。