埋没林、ニッコーキスゲそして夜光館とナナカマド

イメージ 1  歴史の重みを感ずることが多い。私のいる浪館前田は三内丸山遺跡の岡の下に位置している。三内丸山は五千年前の縄文時代の集落の遺跡だ。十九日にみた木造の西海岸七里長浜にある出来島海岸は海岸段丘だが何と二万八千年前の最終氷河期に水没した埋没林の根っこが段丘の断層地層の中に埋まっていた。氷河期に真空パックされ保存されたエゾ松、赤エゾ松の根と幹が隆起した地層のなかで黒く朽ちたまま残っていた。三内丸山には石器は残っているが、木材も人骨もなにも残ってはいない。古い埋没林がいまだに残っているのがまさに自然の不思議なところだ。
 約四十六億年の地球の歴史は、約五百万年前の人類の歴史とは比べ物にならないくらい長い。しかも、日本人の歴史はせいぜい一万年前だ。地球の歴史を一年に譬えると、日本の歴史はたったの二分だ。西暦では、すなわちイエスキリストが生まれた翌年が紀元元年である。人類が知恵と文明を作り上げてまだ二千年に過ぎないのだ。これはたったの七秒に過ぎない。くしゃみ一回分だ。二百六十年前の産業革命以後、地球資源の消費と自然破壊が始まった。これは地球の歴史ではわずか一秒だ。地球のこれまでの歴史を一年で譬えるとわずか一秒で地球上の生物の大半を死滅させ、地球のエネルギーの大半を費消してしまっているのだ。これでは、地球はともかく人類に未来などない。そんなことを埋没林の根っこのささくれだった切り口をみて感じた。
 私たちはいつまで私たちの孫子に、出来島の隣のベンセ湿原に咲くニッコウキスゲの群落を見せることができるのだろうか。私たちはいまこそ、原初に還って土俗的な、自給自足の生活に戻らねばならないことを今度の大震災は教えているのではないか。その最たるものが原発事故だ。放射能は、無味無臭無色透明な冥府の王様だ。放射能こそ人類の敵だと夜光館の芝居「雨月物語」を観て感じた。
 青森は八甲田山系の清水を水道水に使うためにおいしい水をただでいくらでも飲める。わたしは水筒に冷蔵庫の氷を入れ、それを毎日三杯は飲んでいる。ビールや清涼飲料水より美味い。暖かい日には庭に面した居間の窓を開け放ち、水筒の水を飲みながら、庭の中央で爽やかに咲いているナナカマドの可憐な花盛りを眺めている。あと何年こうやってこの自然の恵みにふれられるのだろうかと考えながら。