夏目漱石の『三四郎』のなかでの満洲

イメージ 1  漱石の『三四郎』は、明治41年(1908年)の9月1日から12月29日まで朝日新聞に連載された小説である。
 この小説は、旧制熊本高等学校を卒業し、東京帝国大学に入学するために上京する車中から始まる。そして、上京して帝大生となった三四郎が東京で新しい知見をしだいに得る中で、世界と人生について認識を深めていく過程を描くとともに、絵画的な手法を用いた描写によって、明治の新しい女性と青年の織りなす感情の動きを巧みな小説作法を用いて描いた青春小説でもある。
 この小説の冒頭で、主人公の三四郎は京都で相乗りした女と名古屋で一夜をともにする(といっても、布団の真ん中にシーツを丸めて境界線をつくり、一晩中じいとしていた)。その女の夫が、海軍の職人で広島の呉(海軍工廠があった)に長らく住んでいたのだが、戦争中は旅順へ仕事の関係で行っていて、戦争(日露戦争)が済むと一旦戻ってきたが、また大連に出稼ぎに行った。はじめは良かったが、この半年ばかりまえから音沙汰がなく、金の仕送りもなくなったため、女は里(三重の四日市)に帰る途中だった。
 この冒頭の女とのやりとりと名古屋駅で別れ際に女のはなった「あなたはよっぽど度胸のない方ですね」という言葉がこの小説を面白くさせている。
 このように漱石は、小説の冒頭で旅順、大連という満洲の軍港・商港を登場させている。また、漱石は翌明治42年9月に実際1カ月余の満洲旅行を経験し、それを『満韓ところどころ』にまとめている。漱石の頭の中には、日露戦争(明治37~38年、1904年~1905年)とポーツマス条約などが入っていて、その時代背景もこの作品には多少なりとも関係してくる。
 結局、三四郎満洲とは何の関係もないままに、小説は終わる。
 写真は、7月17日に203高地から写した現在の旅順の街とその港。