夏目漱石と「神様のカルテ」

イメージ 1  夏目漱石が『満韓ところどころ』を朝日新聞に連載したのが、1909年10月21日から12月30日までである。
 実際に漱石は、1909年9月2日から10月17日まで南満州鉄道総裁の中村是好の招きにより満州と韓国を旅行している。しかし、『満韓ところどころ』に連載したのは、前半の撫順までで、哈尓濱、長春以降は書かれないままに終わってしまった。
 『満韓ところどころ』に書かれてあるのは、大連の市街、旅順の新市街、二百三高地、熊岳城、奉天の北陵、そして炭鉱の町撫順までの紀行文で終わっている。
 私は漱石がこの『満韓ところどころ』で哈尓濱、長春奉天瀋陽)の記述がなかったのが残念でならない。満州の東北三省の省都である哈尓濱、長春瀋陽の特徴を漱石がどうとらえていたのか知りたいところである。
 それに何故、夏目漱石ともあろう文豪が、1カ月半の長きにわたって満州から韓国まで旅をしたのか、という疑問である。漱石満州でいろんな人と出会い、再会している。いろんな所へ出掛けてたくさんの中国人を見て興味深く筆写している。
 結局、漱石は『満韓ところどころ』において、中国と日本を対比し、中国人と日本人の違いについて考察し、進取の気質に富むと同時に貧乏所帯ながら分相応にどこまでも発展していこうとする日本人は中国人と比べて頼もしい存在だとしている。
 『三四郎』において、このままいけば「日本は亡びるね」と警句した漱石が、この『満韓ところどころ』では逆に日本の優位性と進取の気質から発展し続けると認め、楽観視しているのだ。果たして本当なのだろうか。
 漱石と言えば、9月1日に観た映画「神様のカルテ」の原作者夏川草介は相当な漱石ファンらしい。この物語でも、主人公の医師栗原一止は『草枕』や『こころ』を愛読する内科医として設定されているからだ。少し古風な考え方の青年医師が患者に寄り添うことによって自らも成長していく姿が丁寧に抑えた演技で観客に伝わってくる映画だった。
 写真は、長春の自動車博覧会の前庭の写真。