長島小学校6年7組

 私は家から歩いて2分の長島の大谷幼稚園に3年通い、隣の長島小学校へ昭和31年に入学した。1年と2年の時は二部授業で、月ごとに午前と午後の授業が交互に入れ替わった。3年の時に組替えがあり、7組となった。1年から卒業までずうっと同じクラスだったのが、歯科医の末っ子のヨッちゃんだった。
 学年は8クラスあったが、3年と4年が女の先生で、5年から中村義信先生が担任になった。中村先生は、結婚したばかりの男っぽい元気な先生だった。数学が専門の先生は、私たちに強い子どもになるよう教育した。とくに男子には、正義の味方になるように、勧善懲悪型の人間教育を行った。それで、約束を破ったり、弱い者いじめをしたりすると殴られた。7組の正義の味方のチャンピオンが4年の時に転校してきたノッちゃんだった。
 中村先生は授業ではとくに数学に力を入れた。これからの大学受験で必要になるのは数学だから、数学は頭の柔らかいうちに叩きこんでおかなくては、と毎日のように放課後、宿題の問題を黒板に書いて、出来た者から先に帰した。私は一番になるように毎日競ってやった。
 その中村先生が、算数の勉強の他に、私たちに強く勧めたのが、読書と映画だった。読書は、世界の童話と冒険少年小説を近くの県立図書館に行って読むようにと教えた。
 映画は、邦画は黒沢明監督と三船敏郎のものを、洋画は西部劇、とくにジョン・ウェイン主演の映画を必ず観るように何度も促した。
 一人っ子で淋しく育った私は中村先生の言うことが頼もしく、抵抗なく受け入れた。もちろんヨッちゃんやノッちゃんも一緒だった。
 ヨッちゃんはいまも元気で新聞配達店主として青森市内に新聞ニュースを届ける仕事を年中夜が明けないうちに続けている。ノッちゃんは7年前に無念の死を遂げて、私は毎年城ヶ倉に手を合わせに通っている。私にはもうひとり6年7組で気になる存在の友だちがいる。静雄君だ。
 その静雄君と浅虫温泉で会ったのがきっかけで、長島小学校6年7組のクラス会を再開することになった。ノッちゃんが亡くなって2年が過ぎていた。
 あれから5年。私が中国に行って青森にいなかった半年を除いて、ほぼ2カ月に一回、5・6人の同級生で「長島小学校6年7組の会」を続けてきた。その中心がガス会社の技術者を定年退職した静雄君だ。ほかに常連が、パーマ屋の元一君、元市役所職員の陽一君、建築会社の元社員だった賢司君、薬局チェーン会社の元役員でいまは警備員の実君、それにヨッちゃんなどだ。女性軍もときどき交じる。酒屋のキクちゃん、主婦のシゲちゃん、美容師の京子さん、主婦の宰子さんなどだ。
 最近は、女子の連絡係のキクちゃんの体調不良と連絡不通で女子の参加がないのが残念だ。
 10月の例会は21日だった。会場は駅前の中央古川の「侍」と決まっている。主人がいている間に会は始まり、主人が亡くなり女将が店を再開してからも、会場は同じ。集まったのは5人。賢司君とヨッちゃんが欠席した。それでも4時間。話すことは尽きなかった。その間、皆、焼酎に日本酒を飲み続けた。会費は一人5千円だった。会費の2倍は食べ、飲み、5人のサムライは満足して家路に着いた。次回は12月17日土曜日に決まった。