ニューヨークの長男が出張で東京に

 ニューヨークで日系の監査法人に勤め、公認会計士をしている長男のところに9月23日、孫の真嵩(マシュウ)が生まれた。長男夫婦はマットとか、マッティーとか呼んでいるらしい。
 メールで誕生の知らせがあったのは、日本時間で24日の午前5時前だった。その時間に起きていた。その日は、娘の結婚式で女房と一緒に6時12分発のはやぶさに乗って上京する日だったからだ。もちろん女房も5時半にタクシーを予約していたから、バタバタと出発準備をしていた。
 メールに添付されてあった赤子の写真を見せ、2005グラムの帝王切開で早産だが、保育器の世話にもならずに元気だということを伝えた。
 そんなわけで、娘の結婚式には長男夫婦は出席できなかった。嫁いだ娘の姓は変わったが、新たに孫が加わり、9人が私の姓を名乗っている。
 不思議なもので、私のもとに女房が加わり、二人が生んだ4人の子が同じ姓を名乗り、長男と二男が嫁をもらい、それぞれ男の子を生んだ。長女は嫁いだが、まだ三男が独身で残っている。
 次男のところの四歳になる孫が、10月に結婚した甥の祝いに次男と一緒に我が家に来て、面白そうに姓を名乗っているのを聴いて、初めて家族のひろがりというものを実感した。
 次男と長男のところの孫たちが成長して嫁をもらい、子どもをつくれば、かぎりなく我が家の姓が増えていく。もちろん、そのころには私も女房もこの世にはいないかもしれないが。
 そんなことを考えているときに、NYの長男からスカイプが入り、日本に出張が入ったので、10月23日から11月1日まで東京をベースにクライアントの会社を回るという。
 週末は10月29日と30日しかないということで、女房と三男も連れて長男の出産祝いも兼ねて上京することにした。
 29日の午後、溜池山王のホテル脇のスターバックスに現れた長男は相変わらずのスキンヘッドに加え、以前にも増して腹の周りに脂肪がついていた。三人の男の子のうち、頭髪が残っているのは次男だけだった。その次男は、空港勤務で顔を出せない代わりに、嫁と孫が横浜からやってきて、娘夫婦も近くの焼肉屋で合流した。孫も入れて総勢8人の会食となった。
 次男はコックピットから見る大空の青さに憧れてパイロットになったのに、2年間のナパでの訓練を終えて帰国したとたんの会社の破産騒ぎで、いまだにコックピットには入れずに、空港で荷物運びに甘んじている毎日だ。次男の嫁から、「青森の父とNYの兄をつなぐ懸け橋なる」ために我慢していると言われ、思わず涙してしまった。
 小学五年のときの交通事故で、生命の有限さを実感した長男は、高校を卒業するとすぐ上京し、大学を卒業すると、そのままアメリカに留学した。そんな長男も、結婚し子供ができ、大分丸くなったようだ。
 長男も、CPOに受かるまで5年を要し、四大監査法人に入社したものの、マネージャーに昇進するのも同僚から遅れた。ようやく昇進した時に今度はリーマンショックと世界同時不況に襲われ、リストラされ日系の中堅の監査法人へ転職した。そして、一昨年の11月からロサンゼルスの本社からニューヨークの事務所に転勤していた。
 1年と4カ月ぶりに会った長男は、女房から出産祝いを受け取ると「これでも10月からシニアマネージャーに昇進して、給料もあがったから安心して」と女房に囁いた。
 会食代は長男が払った。そして、銀座の洋服の青山でスーツを2着新調して成田から嫁とマットの待つNYへと帰って行った。来年6月に一家3人で里帰りするとの言葉を残して。