漱石の「満韓ところどころ」

 夏目漱石明治42年(1909年)の夏、「それから」を書き終えて、満鉄総裁の中村是好と一緒に満州へ出掛ける予定だった。しかし、「それから」を書き終えた疲れが出たのか、漱石はまもなく強烈な胃カタルの痛みに冒され寝込んでしまう。そのため、遅れて出発することになった漱石は、9月2日の夜行で大阪まで行き、そこから大阪商船の鉄嶺丸に乗って是好の待つ大連に赴く。そして1カ月半の長旅の末、10月17日に東京に戻ってくる。その旅の途中までのところが「満韓ところどころ」に描かれている。
 その「満韓ところどころ」は朝日新聞に10月21日から12月30日までの51回にわたって連載された。
 この間、10月26日には、ハルビン伊藤博文安重根によって暗殺されている。この事件をきっかけに、漱石は年末で連載を打ち切ることを考えた。それで、「満韓ところどころ」が平城や韓国への旅行記まで行きつかれなかったのである。