「孝弟而好犯上者、鮮矣」について

 今日は、『論語』学而第一の第二章について紹介します。
 「有子曰、其為人也、孝弟而好犯上者、鮮矣、不好犯上而好作亂者、未之有也、君子務本、本立而道生、孝弟也者、其為仁之本興」
 「有子が曰わく、其の人と為りや、孝弟にして上を犯すことを好む者は鮮なし。上を犯すことを好まずして乱を作すことを好む者は、未だこれ有らざるなり。君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝弟なる者は其れ仁の本たるか」
 ここで、孝弟は、皇本や清本では孝悌である。「弟」と「悌」は通用。
 「仁の本たるか」は、清本では「為」の字がない。朱子の新注では「仁を為(おこ)なうの本か。」と読む。
 この「孝弟而好犯上者、鮮矣」を金谷訳だとこうなる。
 
 有子が言った。
 「その人がらが孝行悌順でありながら、目上にさからうことを好むようなものは、ほとんど無い。目上にさからうことを好まないのに、乱れを起こすことを好むようなものは、めったに無い。君子は根本のことに努力する、根本が定まってはじめて(進むべき)道もはっきりする。孝と悌ということこそ、仁徳の根本であろう。」
 ここで、註は以下の通り。
 有子;孔子の門人。姓は有、名は若。孔子より43歳若い。容貌が孔子に似ていたので、孔子の死後、、学団の中心に立てようとする企てがあった。
 孝行悌順;孝は父母によく仕えること、悌は兄や年長者によく仕えること。
 仁徳;仁は孔子のとなえた最高の徳目。人間の自然な愛情にもとづいたまごころの徳である。

 この章の宇野哲人による解説はこうだ。
 「この章は孔子門下の理想とする徳である仁を行うには、孝とか悌とかいうような日常家庭において何人も行い得ることが根本であることを述べて、人に力を用いさせようとするのである。この章は二節に分れる。上節は人が孝悌ならば不仁なことはないことを述べ、下節は孝悌の大切なことを極言しているのである。」

 孔子儒教の教えの根本は、親兄弟や目上の人に対する孝悌であり、そのことが仁を行う基本だと説いているのだ。愛情と思いやりがすべてだと説く。