パソコンピンチ

 芥川賞の推薦依頼がきて、直木賞の推薦も含めて、北狄の345号と346号に掲載の小説をすべて推薦した。芥川賞は円城寺さんと田中慎哉さんに決まった。
 その田中さんは、高校を卒業後、一度も就職したことなく、二十年間ひたすら書き続けてきた人のようである。下関で執筆を続けて、しかもパソコンではなく、鉛筆だけで書いているという。
 私も校正の仕事をやってみて、鉛筆がいかに優れているかよくわかった。書き直しがきくのと鉛筆削りと消しゴムさえあれば、2Bから10Bまで濃淡自由だ。
 私は玄関脇の洋間にあるデスクパソコンと二階の書斎と仕事部屋にしている事務所でつかっているノートパソコンを持ち歩いて原稿を書いている。パソコンごとの移動保存は、インターネットで送信して受信して保存している。
 そのデスクトップのパソコンの起動が少しずつ遅くなっていたが、ついに昨日からシャットダウンしないと再起動しなくなり、それも今朝からシャットダウンしても再起動しなくなってしまった。
 そして中国からの帰国者の日本語教室に午前中でかけたが、気になっていたのは、データを全部USBに保存していないことだ。このままデスクトップのハードデスクが破壊したままなら、私のこれまでの執筆履歴が消えてしまうことになるのが心配で身が入らなかった。
 戻ってきて、デスク周りを取り除いて、ハードデスクのキャップをはずしてメモリーの基盤を4個取り外してみた。奥の1個が別の機材に引っかかってうまく取り外せないし、はずしたが最後再度セットするのが至難の業なのだ。2時間、汗で眼鏡がくもり、汗が滴り落ちるくらいに悪戦苦闘したが、事態は悪くなる一方。
 3時15分で、一時中断して、4時からの日中友好協会青森市支部の総会に出席しなくてはならなかった。そして、今日2月4日は母の8周忌の命日だ。女房が三男と一緒に、川よしのうなぎをご馳走してくれるという約束だ。
 うなぎを食べて戻るまですべて忘れるつもりででかけたものの、パソコンが復旧しなかったらどうしようと考えると気もそぞろだった。それでも川よしのうなぎも、二人を待つ間に飲んだ日本酒もうまかった。床の間の志功の版画の女人裸像が私を笑っているように見えた。
 夜8時に家に戻り、こんどは本格的にメモリリーの基盤をもう一度チェックした。なんと一番容易な手前の基盤の留め金がちゃんと嵌っていなかったではないか。
 デスク周りを再度整頓し、ハードディスクを縦置きから横置きに買え、セットしなおして、パワーオンしたところしっかり起動した。この瞬間の満足感、なんともいえない気分だった。
 さあ、書きまくるぞ。