唐棣の華

論語」の同じく子罕09篇に次の章がある。;
 (09-30)「 唐棣之華。偏其反而。豈不爾思。室是遠而。子曰。未之思也夫。何遠之有。」
 これの読み下し文は、こうである。
 「唐棣(とうてい)の華(はな)、偏(へん)としてそれ反(ひるが)える。あになんじを思わざらんや。室(しつ)、これ遠きのみ、とあり。子(し)曰(いわ)く、いまだこれを思わざるかな。なんの遠(とお)きことかこれあらん。」
 ここで、唐棣 … スモモ。
   何遠之有 … 皇侃(おうがん)本等では「何遠之有哉」に作る。
 岩波文庫論語」の金谷治訳はこうである。
 ―『唐棣(にわざくら)の花、ひらひらかえる。お前恋しと思わぬ出ないが、家がそれ遠すぎて。』先生は、(この歌について)いわれた、「思いつめていないのだ。まあ(本当に思いつめさえすれば)何の遠いことがあるものか。」と。
 これは子罕篇の最後の章で、ちょっと難解である。
 そこで、宇野哲人の『論語新釈』による通釈と解説によれば、こうなる。
(通釈)「唐棣(とうてい)の花は無情なものであるけれども、ひらひらと動いているところを見ると、情があるようである。まして我は有情の人であるから、どうして爾を思い慕わないことがあろうか。ただ居る所の室が遠く隔たっているから、思うけれども相見ることができないのである。」と古詩にあるが、孔子がこれを評して曰れるには、この詩の作者は思うけれども遠いと言ってるが、わしに云わせれば、彼は未だ思わないのである。もし切に思うのであれば何で遠いことがあろうか。人が道を思うのもこれと同様で、思えば得られるが、思わなければ得られないで、遠くに在る者のように見えるのである。
(解説)この章は、古詩を評して、人が思うことを廃するのを恐れる意(こころ)を述べたのである。「唐棣の華」から「室是れ遠ければなり」までが詩の文句である。
 孔子の語は述而篇の「仁遠からんや。我仁を欲すれば斯に仁至る。」とあるのと同様の意味であると朱子はいっている。
 この章の引用は、竹川弘太郎著『孔子 漂泊の哲人』によれば、56歳で女色に溺れ政を省みない魯の定公を諌めて職を辞した孔子が、十人の弟子を連れてあらたな仕官を求めて旅に出る。そして最初に休憩した場所で、殷の紂王や定公のように女に溺れて国を危うくすることのように女の恐ろしさを孔子に問うた子夏に対して、孔子が古詩をもちだして、古詩は遠いので諦めたが、人を愛する強い思いさえあれば、その人との距離が遠くても問題がない、と諭したと書いてある。しっかり、思いつめることによって、諦めないで、自分の思いをつたえることができるものだ、と話すくだりである。ただ、本分を忘れて、女色に溺れてはいけない、とも付け加えている。