子路、葉公の問いに答えられず

 孔子の一行の仕官を求めての旅は、衛、宋、鄭、陳、曹、蔡、さらに楚国の一地方である葉など、弱小の国にまで及んだ。しかし、まだ望みを達することはできなかった。
 孔子はついに、楚の昭王への仕官を目標とした。先に呉国に攻められて苦しんだ楚も、呉が越や斉と争っていて、その間、楚国は着々と領土を広げ、江水(揚子江)の中流域の大国となっていた。
 孔子はまず、子路に楚を巡らせてみることにした。子路は使者になることを喜んで引き受け、楚国を巡り歩き、孔子の希望をかなえようとした。
 そして、子路は葉公を名乗る沈諸梁にひとりで会う。
 そのとき、葉公は子路に、孔子の人柄を一言で言い表すことができるかを問うた。だが子路は、孔子の政治力や、詩・書・礼・楽の学の深さについてはできるかぎり説いたが、葉公が納得するような答えを返すことができなかったのである。
 後に子路孔子に会ってそのことを話すと、孔子がすぐに答えたのが論語のつぎの章である。
論語」述而07篇に次の章がある。;
 (07-18)「 葉公問孔子子路子路不對。子曰。女奚不曰。其爲人也。發憤忘食。樂以忘憂。不知老之將至云爾。」
 これの読み下し文はこうです。
 「葉公(しょうこう)、孔子(こうし)を子路(しろ)に問(と)う。子路(しろ)対(こた)えず。子(し)曰(いわ)く、女(なんじ)奚(なん)ぞ曰(い)わざる、其(そ)の人(ひと)と為(な)りや、憤(いきどお)りを発(はっ)して食(しょく)を忘(わす)れ、楽(たの)しみて以(もっ)て憂(うれ)いを忘(わす)れ、老(お)いの将(まさ)に至(いた)らんとするを知(し)らずと云(しか)爾(い)うと。」
 これの金谷訳はこうなっています。
― 葉公が孔子のことを子路にたずねたが、子路は答えなかった。先生はいわれた、「お前はどうしていわなかったのだ。その人となりは、(学問に)発奮しては食事も忘れ、(道を)楽しんでは心配事も忘れ、やがて老いがやってくることも気づかずにいるというように。」と。
 ここで、葉公とは楚の国の葉県の長官のこと。姓は沈、名は諸梁、あざ名は子高。