「一道浊流,固然不如一杯清水的干净而澄明,
但蒸馏了浊流的一部分,却就有许多杯净水在.」
これの日本語訳はこうです。
「濁流はむろん、一杯の清水の清潔さや透明さにはおよばない。
だが、濁流の一部を蒸留すれば、何杯もの澄んだ水になる。」
今日の魯迅箴言は、意味深長である。いまの日本にはいろんな意味での濁流が流れている。その濁流を掬い上げて蒸留すれば、澄んだ水にすることができるというものです。これは濁っていると決め付けないで、蒸留できるものは蒸留することが必要だと魯迅はいっています。