北狄359号4人の同人の作に想う

今日、午後6時から北狄359号の合評会です。
 宰木陽二『錯誤』;
 冒頭から秋の宮島を旅した西行法師が老女に道をたずねたやり取りからこの掌編は始まります。
 作者である主人が、探しものを妻に尋ねようとするが、妻が不在で所在ないまま、テレビをつけると、そこに映っていたのは、合格発表の番号がみつからずに泣いていた少女を、別の少女が見つけてくれるという場面であった。
 いつもながらの二人だけの夕食。いつもよりおかずが一品多いのは遠くに住む息子が送ってくれた「金婚式一年前祝い」の品。ビールで乾杯のあと、珍しく主人から西行の話題を提供する。最初怪訝な顔の妻が、主人の説明を聞いて、大きく笑い、「最近、カンが鈍ってきた」と答える。話題はテレビの少女の身間違いに及ぶと妻が五十年前のことを思い出す。主人は妻と別の女性とデートして、待ち合わせ場所を間違って、とうとうあえなかったことを初めて妻に告白する。それを詰る妻に主人は言いたくなかった、とだけこたえる。
 夕食後、しばらくテレビをみているとおだやかになった妻が再び問う。「どうして場所を間違ったのか」と。
 デートの待ち合わせは東京のS駅。主人は表口、彼女は裏口、どちらも互いの通学路の乗降口だった。翌年、彼女は急逝し、それから五十年。来年の金婚式はこのときの錯誤の延長線にある。
 わずか五枚の掌編にこの夫婦の五十年の歩みが、西行法師と老女のやりとりとテレビドラマの見間違いの話とともに自分の思い出とともにいつもの抑制のきいた筆致で語られていて、心をうつものがある。余計なことだが、題は錯誤より、金婚式のほうがよくはなかったか。
 小野允雄『私の三市点描』;
 弘前で作者が気に入っているのは、弘前城址、それもさくら祭りのころでないほうがいいという。天守閣からすこし歩いたところの柵からながめる岩木山が気持を和らげてくれるという。中学は付属で、そのころ校舎は城址のなかにあったという。二番目は弘大のキャンパス。キャンパスの雰囲気がよく、若いころを思い出すという。三つ目は本屋。紀伊国屋書店ジュンク堂が気に入っているようだ。
 青森には高校時代と四十近くなって社会人になってから住んでいるという。青森に生まれ育った人と違った意味で愛着をもっているという。青森には特徴的なものがないが、しいてあげれば、自然に恵まれている、のと、開放的だということだ。前者は、海があり、八甲田とその周辺に高原があるという点だ。それに、フェリー埠頭から合浦公園にかけての海岸線には風情がある。港町であるのに、八甲田や萱野高原や田代平高原など、短時間で行ける。とりわけ、八甲田の山々が作者の人生に彩りを与えてくれたという。山登りにスキーだ。青森の開放的な雰囲気は高校時代の記憶からだ。まちのつくりもちぐはぐで、このちぐはぐさが逆に魅力となっているという。
 いちばんなじみが薄いのが八戸だという。記憶にあるのは、三社大祭蕪島と、階上くらいとか。
 この作品は最後がいい。東京から碇ヶ関の祖母の旅館へ疎開していたころ、傷病兵の宿泊所ともなっていたという祖母の家で、近隣の町から青森が空襲で焼かれ空が赤く染まっているのが見えたと聞いた話と、最近の妻と堤川の河沿いを散歩して、高校生がボートを漕いでいるのを眺め、静かに時が経過していくのを感じている情景はとくに胸に迫るものがある。