今日の論語一日一章「温故而知新」(故きを温ねて新しきを知る)

 今日は午後1時から川柳陽の会の例会とそのあとの懇親会、さらに6時半からは、蓮心寺で核燃いらない市民の会の例会でした。前段の川柳の会は9人、懇親会は7人、市民の会は7人の参加でした。でも、みな楽しい会でした。川柳の一句17文字にそれぞれの人生のドラマとロマンが凝縮されています。2011年3月11日の東日本大震災による原発事故は、私が今住む青森に重い影を落としています。六ヶ所村の核燃サイクル施設、とりわけ再処理工場の使用済み燃料3千トンと高レベル廃液240㎥の存在です。なんらかの事故が起これば、一瞬のうちに青森は廃墟と化すでしょう。その恐怖に苛まれています。

 今日の孔子論語」の一日一章は、第2篇「為政第二」の第11章  「温故而知新」(故きを温(たづ)ねて新しきを知れば)です。
 この章の漢文原文はこうです。
 「子曰、温故而知新、可以為師矣。」
 この章の読み下し文は次の通りです。
 「子曰く、故きを温ねて新しきを知れば、以て師となるべし。」
 ここで、中国語簡体表記は次の通りです。
 「子曰,温故而知新,可以为师矣。」
 この章の日本語訳はこうなります。
 「孔子は言った。ふるく学んだ所を習熟して、新たに悟る所があるようになれば、学んだ所の事が我が物となって、無窮の事柄に応ずることができるから、人の師となる資格がある、と。」
 ここで、語句の解釈は次の通りです。
 温(たづ)ね;学びて「時に習う」(学而第一、第1章)という意味である。
 この章は、人の師たる道を説いているのです。
 つまり、ただ聞いたことを覚えているだけでは、知る所に限りがあるから、人の師となって人の求めに応ずることはできない、ということを教えています。